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祖国のため、敵・バルチック艦隊の動向を報せた世界各地の日本人たち

2015年05月27日 公開
2022年12月07日 更新

平間洋一(元防衛大学校教授)

勝利を手繰り寄せた遠方からの電報

 マダガスカルを出港したバルチック艦隊は、インド洋を通過した後に、ジャワ(現インドネシア)のスマトラ島沖に差しかかる。この時、艦隊の動きを日本海軍に打電したのが、三井物産の社員・津田弘視であった。

 津田は軍の密命を帯びてスマトラ島にいた。当時、三井物産は天津、上海、香港、台北、マニラ、シンガポール、ボンベイに支店をもち、日本産の石炭販売を行なっていた。軍はその情報網を活用したのだ。

 バルチック艦隊がスマトラ島沖に現われたのは、4月5日。津田は、すぐさまその情報を海軍に打電したという。

 一方、イスタンブールで事業を行なっていた実業家・山田寅次郎(宗有)は、トルコからロシア黒海艦隊の様子を伝えた。黒海艦隊が、すでに日本へ向かっているバルチック艦隊と合流するかどうかは、極めて重要な情報であり、政府が寅次郎に動向を探るよう命じたのだ。

 これを受けた寅次郎は、現地のトルコ人を二十人ほど雇い、24時間体制で高台からボスポラス海峡を見張り続けた。そして、

 「ロシア軍船3隻、ダーダネルス海峡を通過せり」

 という情報を、日本にもたらす。敵艦隊の情報に乏しい連合艦隊にとって、この情報は有益であった。寅次郎は日本とトルコの友好親善の礎を築いた人物として知られるが、日露戦争においても祖国に多大なる貢献をしていたのだ。

 日本海海戦は、決して軍艦に乗り込んだ男たちだけの戦いではなかった。世界各国の「名もなき日本人」の活躍で、バルチック艦隊の接近を知ることができ、乗組員を疲労困憊させ、それが「奇跡の勝利」につながったのである。

 日本人が一丸となって大国ロシアに立ち向かわんとする当時の空気を、彼らの勇気ある行動から感じ取ることができよう。

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