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吉田松陰の最期

2015年04月27日 公開
2022年12月07日 更新

『歴史街道』編集部

こんにちは。今日は平成27年(2015)4月27日(月)です。

昨晩の大河ドラマ「花燃ゆ」では、吉田松陰の最期が描かれました。松陰と井伊直弼の評定所での対決が見せ場でしたが、壇ふみさん演じる母親の滝の「帰ってきたんやねえ」という台詞には、涙を誘われました。

今回は松陰の最期のくだりをご紹介してみます。

「死は好むべきものでなく、また憎むべきものでもない。道のために死ねば心安らかであり、これこそ死所というべきである。世の中には、肉体的に生きているが、心はすでに死んでいる者があり、身体は滅びてしまったが、魂がまだ生きている者がある。

心が死んだのでは生きている意味はまったくないが、魂が残っているのならば必ずしも生きていなくともよい。死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつまでも生くべし。僕の所見では、生死は度外において、唯、言うべきを言うのみ」

これは小伝馬町の牢につながれた松陰をたびたび見舞った高杉晋作が、「大丈夫たる者の死に所とはどこでしょうか」「私は今、何をすべきなのでしょうか」と問いかけたのに対し、松陰が返した内容です。

特に最後の「生死は度外において、唯、言うべきを言うのみ」を、松陰は評定所で自ら身を以て実行して見せました。

評定所で間部老中暗殺計画を追及する奉行たちとの応酬の中で、松陰は処刑の免れないことを覚悟します。そんな松陰の絶筆となった「留魂録」に、次のような一節があります。

「10歳で死ぬ者には10歳の中に自ずから四季が備わっており、20歳には20歳の、30歳には30歳の四季がある。50や100で死ぬ者にもそれぞれに四季があり、人間の寿命の長短とは関係がない。

今、30歳で死ぬ自分にもきちんと四季が巡り、春に蒔いた種が成長し、やがて花を咲かせ、実を結んだのだから、何ら悲しむ必要はない。収穫した籾〈もみ〉が十分に実ったものか、それとも実のないしいな(実っていない籾)であるかは、自分の志を継ぐ人々が後に続くかで決まる」。

人の一生は誰にも四季があるとする松陰の考え方は、非常に印象的な、深い洞察に満ちた言葉であるように感じます。また、松陰は、自分の志を弟子たちが必ず受け継いでくれるものと信じていたことも伝わってきます。

「留魂録」は自身の処刑が近いと悟った松陰が、10月25日から26日にかけて門弟に向けて書き上げた遺書で、有名な辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置かまし大和魂」はその冒頭に書き込まれています。

実に処刑の前日夕方のことでした。

また最後に数首の歌が詠まれています。

心なることの種々かき置きぬ思い残せることなかりけり
呼び出しの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな
討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ
愚かなる吾れをも友とめづ人はわがとも友とめでよ人々
七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや

「愚かなる~」の歌は、「花燃ゆ」のオープニングのコーラスの歌詞に使われています。

安政6年10月27日(1859年11月21日)朝。評定所に呼び出された松陰は死罪を宣告され、そのまま小伝馬町牢内の一角に設けられた刑場に引き立てられました。午前10時頃のことであったようです。

評定所で死罪宣告を受けた時の松陰の様子を、取調べで居合わせた世古格太郎は、「2、3人が松陰の腕をとらえ、気息荒々しい様子だが、一人の同心が『御覚悟はようござりますか』と問うと、松陰は『もとより覚悟のことでござります。方々、お世話になりました』と応え、駕籠に乗せられた。その後、一人の同心が『ああ惜しき者なれど是非もない』と嘆息した」という内容を伝えています。

また佐倉藩の依田学海は八丁堀同心から聞いた話として「吉田寅次郎の様子に人々は感泣した。死罪宣告に『畏まり候』と答え、日頃介添えした役人たちの労を言葉やさしくねぎらい、刑に臨み心静かにうたれた。およそ死刑に処せられる者は多いが、これほどまでに従容たる態度の者は見たことがない」。

そして松陰の首をはねた山田浅右衛門の言葉として、「悠々として歩を運んできて、役人どもに一揖〈いちゆう〉し、『御苦労様』と言って端座した。その一糸乱れざる態度は、幕吏も深く感嘆した」。

この最期の姿に、吉田松陰という人の人格が表われているように感じます。享年30の若さでしたが、彼の言葉を用いれば、人生の実りの秋であったのかもしれません(辰)

写真は萩の吉田松陰像と、世田谷松陰神社の松陰墓

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