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「ばさら」とは~行き詰った時代を変革する精神

2011年03月31日 公開
2022年06月15日 更新

森谷尅久(武庫川女子大学名誉教授)

「ばさら」とは何者だったのか

派手で奇抜な衣装を身に纏い、傍若無人な振舞いをする者が、鎌倉末期から南北朝の動乱期に登場する。人は彼らを「ばさら者」と呼んだ。
庶民が喝采を贈った彼らはなぜ現われ、また何を自ら表現していたのか。

《 『歴史街道』2011年4月号より》

 

「傾く」と「ばさら」

最近、テレビゲームやアニメなどを中心にして戦国武将がブームとなり、特に若い女性が関心を持つようになりました。どの武将が好きかは十人十色ですが、己のポリシーをもって戦った個性的な武将が人気を集めているようです。

そうした武将の個性は、独自の発想や行動に表われますが、時にファッションにも表現され、一風変わった奇抜な衣装を好みます。例えば織田信長、伊達政宗、前田慶次郎...。彼らはその独特の派手な身なりから、「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれていました。

「傾奇者」というのは、「奇」に「傾く」者という意味です。室町末期から戦国時代にかけて、変わった格好をして目立とうとすることが一般民衆を中心に流行したのです。そのころ京に現われた出雲の阿国(おくに)は、男装してこの「傾(かぶ)く」文化を取り入れた踊りを披露し、一世を風靡しました。その流れから、男性だけで演じる現在の歌舞伎が生まれています。戦乱の時代というと血なまぐさい印象が強いかもしれませんが、一方ではこうした華やかな「傾く」文化も存在していたのです。

しかし、この「傾く」文化は戦国の世に突然出現したのではありません。室町時代の少し前、『太平記』で知られる南北朝の動乱期にも同じような文化が現われました。それは「ばさら」と称された人びとによるもので、この「ばさら」という言葉は当時の流行語にもなるほどでした。

「ばさら」は、漢字では「婆娑羅」「伐折羅」「跋折羅」などと表記しますが、かなり広い意味を持つ言葉です。例えば「贅沢な」「華美な」といった、今で言う「セレブ」に近い金銭面での裕福さを指す場合もあります。「ばさら扇」「ばさら屏風」などほ、贅(ぜい)を尽くした逸品のことを言いました。

そもそも「ばさら」の語源は、インドから渡来した梵語(ぼんご=サンスクリット語)の「ヴアージラ」に由来します。それは「金剛」という、非常に硬くて強いことを意味し、例えば「金剛石」と言うと、ダイヤモンドのことを指しました。もちろん、貴重なものであったので、そこから「贅沢な」「華美な」の意にも繋がったのでしょう。ちなみに、新薬師寺の有名な十二神将像のうちの一体「伐折羅大将(ばさらたいしょう)」は、手に「金剛杵(こんごうしょ)」という剣を持っています。こちらは「贅沢な」ではなく、「強い」という意味の「ばさら」に由来しているかと思われます。

また、「ばさら」の意味には、音楽の演奏などで、1人だけわざと調子を外すことも含みます。そこから「目立つ」「人目を引く」という意味が生まれ、さらには「良い格好をする」「派手な」「行儀が悪い」ということまでも指すようになりました。

 

なぜ「ばさら」が生まれたのか

そして、そのような目立つ振舞いをする人たちのことを、「ばさらと称するようになりました。鎌倉末期から南北朝の動乱期にかけて、奇抜で派手な衣装を身に着け、傍若無人に無作法な振舞いをする風潮が流行したのです。

『太平記』には、次のように当時の忌むべき行ないが列挙されています。

「それ政道のためにあだなるものは無礼、邪欲、大酒、遊宴、ばさら、傾城(けいせい)、双六、博奕(ばくち)、強縁、さては不直の奉行なり」

このように「ばさら」の一般的には社会規範を破る悪行として考えられていたようです。

では、この風潮は一体どこから生まれたのでしょうか。時代背景を読み解いていくと、南北朝から室町時代の社会に大きな変化が起こっていたことがわかります。

まず経済的な面では、農業の生産力が飛躍的に向上しています。鎌倉時代の中頃から二毛作が始まり、さらに肥料の普及により、農産物の収穫量が格段に上がりました。茶や漆、そして油の原料となる荏胡麻の栽培も盛んになっています。

また、中国から流入した銭を元にして商業も発達しました。特に日本海から西廻りで瀬戸内海を通り、畿内へと物資を運ぶ日本海ルートの開発で交易が盛んになり、特産品が畿内に集まるようになりました。

こうした経済的な発展により、畿内を中心に人びとの生活水準が上がり、ライフスタイルも大きく変わってきます。例えば、この頃から米食が普及し始め、豆腐や漬物といった日本食の原型が生まれています。また、上流階層で用いられていた漆器や陶器などの日用品も、庶民層にまで広がっていきました。

住宅でいえば、それまでの公家による寝殿造りの様式は、室町幕府が開かれて武士たちが都に定住するようになると、茶や禅宗といった新たな文化に合った書院造りへと変わり、次第に庶民層にも浸透していきます。
さらに人口も大きく増加しました。人口が増えれば、それまでの単一的な社会に飽き足らず、集団の中で自分の個性を発揮したいという願望が芽生えます。庶民が豊かになり個性を重んじる余裕が生まれたところから、「ばさら」という文化の素地ができたのでしょう。

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