写真:左から、平井伸治鳥取県知事、伊原木隆太岡山県知事、山口祥義佐賀県知事
去る7月15日、弥生時代の歴史・文化に関する強力なプロジェクトチームの立ち上げが発表されました。プロジェクトを組んだのは、鳥取、岡山、佐賀の三県。それぞれ、青谷上寺地遺跡、津島遺跡、吉野ヶ里遺跡と、いずれも弥生時代を語るうえで欠かせない遺跡を有するだけに、歴史ファンにとってはどんなプロジェクトになるのか気になるところ。
そこで、歴史街道編集部が連携協定式の模様を取材し、あわせて鳥取県の文化財専門職員にお話しを聞くと、興味深い取り組みが進行中であることも明らかに。古代ロマンに新たな展開を期待させてくれるプロジェクトを紹介しよう。
そもそも鳥取、佐賀、岡山の三県の連携は、青谷上寺地遺跡、津島遺跡、吉野ヶ里遺跡を抜きにしては語れない。
鳥取県の青谷上寺地遺跡は、弥生時代前期末から古墳時代前期(約2400~1700年前)にかけて営まれた港湾集落遺跡で、通常の遺跡では残らない木や骨などが数多く出土している。
また鳥取県には、弥生時代後期後葉(約1800年前)に栄えた妻木晩田遺跡もある。この遺跡では、竪穴建物跡と掘立柱建物跡をあわせて900棟以上の建物跡や、四隅突出型墳丘墓を中心とする墳墓群が見つかっている。
岡山県の津島遺跡は、縄文時代晩期から弥生・古墳時代にかけての大規模な遺跡で、日本で初めて、弥生時代前期(約2600~2400年前)の集落と水田が一緒に発見された場所だ。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の大規模な遺跡で、特に弥生時代後期(約2000~1800年前)に栄えた、国内最大級の環壕集落として知られている。
いずれの遺跡も、弥生時代の様相を探るうえで極めて重要であり、だからこそ、この三県の連携は、古代史研究においても意義深いものといえる。
では、三県の連携はどのようになされるのだろうか。7月15日(木)、鳥取市にある青谷かみじち史跡公園で、「弥生文化再発見プロジェクト(鳥取×岡山×佐賀)」に関する連携協定式が行なわれた。
この連携において、三県は弥生時代の歴史・文化について共同で調査研究を行い、弥生文化の地域性や多様性を明らかにしながら、その特徴を改めて見出すなど、研究をリードするとともに、その重要性や学術的価値を国内外に発信していくという。
具体的な取り組みとしては、弥生文化解明のための共通テーマ(弥生の墓制、祭祀等)による調査研究、シンポジウムによる連続講座や講演会の開催、各県展示施設での展覧会の開催などがあげられるそうだ。
協定式では、鳥取県の平井伸治知事、岡山県の伊原木隆太知事、佐賀県の山口祥義知事が協定書に署名し、このプロジェクトに関する思いも語られた。
「本日は、伊原木隆太岡山県知事、山口祥義佐賀県知事にお越しいただき、無事に協定の調印を行なうことができました。我々は、弥生の遺跡で結ばれているわけであります。これから研究をともにしたり、イベントを一緒にやったりしていきたいと思います。
弥生時代は、いまの日本人ができた時代です。よく、農耕民族といわれますが、本当はお魚もだいぶ食べていましたし、交易をするための港もここ(青谷上寺地遺跡)にあったということでございます。これ、意外と今までの教科書で習ったものと違うじゃないかと思うのですが、まだまだ分からないことがあります。
そこで、三本の遺跡を束ねて、三本束ねれば絶対折れないということで、"三本の矢、良い(弥生)"ということで、よろしくお願いいたします」と、中国地方の戦国大名・毛利元就の三本の矢の逸話に絡めて、平井知事は三県連携の意義について語った。
つづいて、伊原木知事。「岡山県の津島遺跡は、弥生時代前期の集落と水田が一緒に見つかったというところが画期的なところでございまして、稲作を始めて、もう生活様式がガラっと変わった。われわれの生活様式、社会の在り方を一変させる一大革命であった稲作農業定住、そういった当時の最先端の場所であったということで、本当に誇りに思っています。それが、岡山駅から歩いて20分のところにあるので、ぜひお越しいただければと思います」
そして、山口知事は「吉野ヶ里遺跡には実はこの5月にスノーピークさんと連携した県営公園があり、大きなグランピングの施設をオープンしました。朝靄がたつと幻想的な風景になりますので、ぜひお越しいただきたいなと。
また、明らかに弥生時代に船で交流をしておりますので、この三県で人の交流、私はかなりあったんじゃないかなと思いますし、この三県の地域は人口集積地だったことは間違いないと思っています。それを一緒になって、この弥生時代というものが明らかにされていくということでも、いいことだなと思います。非常にわくわくするような事業でありますし、未来に向けたところが楽しみだと思いますので、ぜひ、我々三県を見守っていただきたいと思います」と締めた。
三県の知事の言葉からうかがえるのは、弥生時代が持つ重要性だ。大和朝廷成立へと至る過程はいまも謎が多く、邪馬台国の位置についても、畿内説や九州説と様々な見方が提示されている。古代日本の様相を解明するうえで、弥生時代は重要な鍵と言え、三県の取り組みは古代史に新たな展開をもたらしてくれるものと期待したい。
写真:青谷かみじち史跡公園
では、実際に現場で研究にあたっている方々は、この三県連携において、どんな取り組みをしようと考えているのだろうか。それを探るべく、青谷かみじち史跡公園の河合章行さんにお話をうかがった。
河合さんによると、今年の9月12日(土)から11月23日(月・祝)にかけて、青谷かみじち史跡公園にて「吉野ヶ里遺跡展」が開催されるそうだ。吉野ヶ里に関する展覧会は、鳥取県としては初めてとのこと。さらに来年には、岡山県に関する展覧会を検討しているという。
「今回の連携においては、まずは地域性を明らかにすることを意識しています。たとえば、『吉野ヶ里遺跡展』では、吉野ヶ里遺跡出土の甕棺(かめかん)を展示しますが、この甕棺は弥生時代の前期の終わりごろから用いられ、副葬品も多い。ところが弥生時代後期になるとあまりつくられなくなるというように墓制が変化しているのです。
一方で、鳥取県を含む山陰には甕棺はなく、遺体は甕棺にいれず、穴を掘ってそのまま埋めたり、木棺を用いたり、別の方法で埋葬するわけです。また、副葬品も甕棺と異なりほとんど見つからない。このほか四隅突出型墳丘墓といった特殊な墳丘墓がつくられるようになります。墓ひとつとってもこれだけ違うわけで、それぞれの地域の特徴を明らかにしていきたいと思っています」
ただ、河合さんによると、吉野ヶ里遺跡は青谷上寺地遺跡にも共通項はあるという。「吉野ヶ里も青谷上寺地からも、木製の履物が出土しています。今回の展覧会では、その2つの遺跡から発掘された履物などを横に並べて、実は遠く離れて見える遺跡で、お墓のつくり方も全然違うけれども、生活レベルでは共通しているところもある、ということを伝えられればと思っています」
鳥取県の取り組みは、これだけではない。「弥生人+"ワン!"事業」と題した研究事業も推進し、研究成果をもとに、青谷上寺地遺跡で出土した「弥生犬」の骨格復元模型と生体復元模型を製作するという。
青谷かみじち史跡公園の門脇隆志さんによると、青谷上寺地遺跡からは、弥生時代としては全国で最多となる88個体以上の犬の骨が出土しているそうだ。
「なぜ弥生犬を研究するかというと、犬の存在自体が人間がなくては成り立たないものであるためです。犬は非常に人間の社会とか暮らしの状況を反映している動物なのです。
たとえば、ここで出土した犬の骨には、一度、生前に骨折してから治った形跡が認められるものがあります。となると、結構、ハードな生活をしていた一方、人間に保護されていた猟犬だった可能性が高い。つまり、稲作の始まった弥生時代になっても、犬は猟犬として重要だったことは間違いないということです」と門脇さん。
今後、骨格復元模型や生体復元模型の製作が行なわれるが、復元した全身骨格に肉付けする手法で製作された出土犬の生体復元模型は、国内ではこれまで2例しかないという。
また鳥取県では、DNA分析によって遺伝子情報が得られれば、それをもとに毛色や尾の形状なども復元するとのことで、そうなれば極めて学術的価値の高い復元例になる。
鳥取、岡山、佐賀の三県による「弥生文化再発見プロジェクト」と、鳥取県の「弥生人+"ワン!"事業」。これらの"ワン"ダフルな取り組みから、古代日本の謎が解き明かされることを期待したい。
更新:08月04日 00:05