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弥生人の暮らしは現代に通じる? 「青谷上寺地遺跡の出土品」にみる高度な技術力

2024年02月21日 公開

歴史街道編集部

青谷上寺地遺跡↑弥生時代の青谷上寺地遺跡を再現したCG(提供︰鳥取県とっとり弥生の王国推進課)

「地下の弥生博物館」と呼ばれ、古代史ファンから注目を集めている場所がある。鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡だ。そこからは、現代人の想像を超えた弥生人の暮らしぶりがみえてくるという。

そして3月24日には、その歴史に触れられる施設、青谷かみじち史跡公園がオープンする。古代ロマンに胸を弾ませながら、一足先に、編集部が現地を訪ねた。

 

奇跡の遺跡

濵田竜彦↑青谷かみじち史跡公園準備室の濵田竜彦さん

弥生時代の人々の暮らしというと、「木の実などの採集や狩猟に加え、大陸から伝わった稲作を営んでいた」というイメージを持つ人も多いのではないだろうか。

しかし、鳥取県にある青谷上寺地遺跡の出土品からは、そのイメージを超えた暮らしぶりがみえてくるという。一体、弥生人はどんな生活を送っていたのだろうか。古代のロマンに思いを馳せながら、鳥取県へと向かった。

青谷上寺地遺跡は、今から約2400年前(弥生時代前期の終わりごろ)から、約1700年前(古墳時代前期)の港湾集落跡だ。

山陰自動車道の建設中に発見された遺跡で、木製品、漁労具、武器など、様々な遺物が発掘されている。弥生人の脳をはじめ、通常は朽ちて残らないものまで出土していることから、「地下の弥生博物館」とも呼ばれているのだ。

「『最近まで使っていた』と言っても誰も疑わないくらいに、保存状態が良い出土品が多いんです」

そう教えてくれたのは、青谷かみじち史跡公園準備室の濵田竜彦さんだ。

「全国的にみても、ここまで保存状態の良いものが大量に出土することは稀でしょう」

数万点単位で発掘された出土品のうち、約1300点が国の重要文化財に指定されているそうだ。

濵田さんによると、青谷上寺地遺跡は低湿地に位置しており、地下水で満たされた、酸素の供給量が少ない地層に埋まっていたので、遺物が腐りにくかったのではないかという。偶然にも、保存に適した自然環境が形成されていた"奇跡の遺跡"ともいえよう。

平成12年(2000)に行なわれた発掘調査では、溝の一部から、少なくとも109体分の人骨が発見され、古代史ファンが大いに盛り上がったことも記憶に新しい。

大量の人骨↑大量の人骨が散乱して出土した(提供︰鳥取県とっとり弥生の王国推進課、以下同)

出土した人骨のなかには、矢じりが刺さっているものや、武器で傷つけられた痕の残るものもあり、争いによって命を落とした人がいたことがうかがえる。人骨は、歴史書『魏志倭人伝』に、2世紀ごろの日本の様子として記された「倭国乱」の時期に重なることから、その関連性も気になるところだ。

矢じりが突き刺さった人骨
↑矢じりが突き刺さった人骨

しかし濵田さんは、「実は、溝に集積されたすべての骨が、争いの犠牲者ではないんです」と語る。

「武器で傷ついた骨は全体の1割程度で、なかには結核を患っていたことのわかるものもありました。当時、この地域でも何らかの争いがあった可能性はありますが、出土した人骨は、弥生後期における、集団埋葬のひとつと考えたほうがいいかもしれないですね」

また、出土品からは、この地域の性格もみえてくるそうだ。

青谷上寺地遺跡は、内海、外海、谷、川、湿地、山と、自然環境にめぐまれた場所にあった。釣針や銛の頭部分も出土しており、この地の人々は、稲作ばかりではなく、海の資源も積極的に利用していたことが判明している。

結合式釣針
↑結合式釣針。別々につくられた針と軸を結び付けて使用した

さらに、海に面していることから、交易の拠点でもあったと濵田さんは指摘する。

例えば、装身具である管玉は、完成品だけでなく、加工途中のものも出土しており、その原料は北陸産の碧玉だ。

そして、九州北部の遺跡から、北陸産の碧玉を加工した管玉が発掘されており、それは青谷をはじめとする山陰の遺跡で加工されたものが含まれている可能性がある。つまり青谷は、遠くの地域から原材料を輸入し、加工して他の地域へと輸出していたと推察されるのだ。

また遺跡からは、朝鮮半島の鉄器や、中国で鋳造された貨幣も出土している。これらは九州を経由して交易品として入手していた可能性が高く、この地の人々のネットワークの広さに驚かされる。

3月24日に開園する青谷かみじち史跡公園では、こうした、青谷の弥生時代の人々の暮らしをより具体的に知ることができ、出土品の鑑賞もできるという。今回は特別に、開園前にみせていただけることとなった。

 

ガイダンス棟で弥生時代を体感!

青谷かみじち史跡公園↑青谷かみじち史跡公園。右がガイダンス棟、左が重要文化財棟。建物の奥に弥生の湿地ひろばが広がる(SATOH PHOTO 佐藤和成、提供︰鳥取県とっとり弥生の王国推進課)

青谷かみじち史跡公園は、JR青谷駅から徒歩15分ほどで、専用駐車場を背に右側にガイダンス棟、左側に重要文化財棟がある。

まずは、青谷上寺地遺跡や、弥生時代の人々の暮らしに触れられる、ガイダンス棟に足を運んだ。

ガイダンス棟を入るとすぐに、大きな木船が目に入る。弥生時代後期に使われていた準構造船を復元したものだそうで、当時の技術力の高さに驚かされる。

「遺跡や、弥生の人々の暮らしについての解説文もありますが、それを読まずとも伝わるよう、グラフィックや模型を多用しました。また、実際に手で触れて体験できる展示も用意することで、弥生時代をより身近に感じてもらえると思います」

濵田さんの言葉の通り、イラストパネルや土器のレプリカなどが多数展示され、解説文を読まずとも楽しめる空間になっている。

弥生時代のイラスト↑弥生時代のこの地の様子がイメージしやすいイラスト

濵田さんによると、青谷の人々はモノづくりの技術力が非常に高く、遺跡からは、木製の高杯や桶形容器も多く出土しているそうだ。

「青谷に限ったことではありませんが、弥生の人々は、用途によって使用する木材を替えていました。仕上がりが美しく、耐久性のあるヤマグワの木はお椀などの容器に。柔らかく、加工のしやすいスギの木は、大型の容器や建築部材といった具合です。そうした彼らの知恵や工夫が伝わるよう、それぞれの木に触れられる展示もつくりました」

木の重さがわかる
↑木を持って感触や重さを体感できる

実際に体験コーナーに置かれている木片を持ち上げてみると、ヤマグワの木は重く、スギの木は軽いなど、それぞれ特性が全く違うことを体感できて面白い。

その他にも、青谷上寺地遺跡から出土した木製の盾の模型を実際に持てるコーナーなどもある。出土品が当時どのように使われていたのか、具体的なイメージが湧いてくるので、弥生時代をより身近に感じることができるだろう。

出土した盾
↑出土した盾を実物大で再現。想像以上に大きい

青谷かみじち史跡公園↑ガイダンス棟の床は、青と茶で海辺と陸地をあらわしているという

 

重要文化財棟は古代のアート展?

ガイダンス棟
↑美術館のような展示室の入口

ガイダンス棟の隣には、青谷上寺地遺跡で発掘された品々を展示する重要文化財棟がある。

「ここに展示されているのは、青谷上寺地遺跡の出土品のなかでも、特に保存状態が良く、歴史的な価値の高いものです。しかし同時に、歴史の視点からだけでみるのはもったいないくらいに、どの出土品も美しくて、とても魅力的なんです」

タペストリー
↑出土した土器などの模様をかたどったタペストリー

濵田さんの口調も熱を帯びる。青谷上寺地遺跡の出土品は、この地の人々によって生み出されたアート作品ともいえるのだろう。

「考古学や、青谷上寺地遺跡に興味のある人はもちろんですが、アートが好きな方にもぜひお越しいただきたいと考えています。そこで、重要文化財展示室の解説文は最低限のものにし、レイアウトも出土品そのものをじっくり鑑賞して楽しんでもらえるような空間になるよう工夫しました」

口縁部から脚部にかけてのくびれた外形ラインが美しい木製の桶形容器や、花弁状の装飾がほどこされた花弁高杯の杯部......。

桶形容器
↑外形ラインが美しい桶形容器(提供︰鳥取県とっとり弥生の王国推進課、以下同)

高杯の杯部↑花弁がほどこされた高杯の杯部

確かに、弥生人の芸術性までもがうかがえて、じっくりと見入りたい出土品ばかりだ。

重要文化財棟内部のCG
↑重要文化財棟内部のCG

 

歴史博物館、美術館、植物園として

弥生の湿地ひろば↑弥生の湿地ひろば

ガイダンス棟と重要文化財棟とは別に、屋外には、弥生時代後半期の青谷の自然景観を再現した、「弥生の湿地ひろば」が展開されている。湿地の周囲には緑が広がり、湿地近くのベンチで座って眺めているだけでも心が癒される。

ここでは、季節によって様々な動植物をみることができ、ビオトープとして、今後さらに生物も増えていくという。湿地は浅いので、夏には水遊びもできそうだ。

「水遊びや動植物の観察に訪れた人にも、隣接するガイダンス施設を通して、『遊んでいたところは実は遺跡だった』という気軽な感じで、遺跡に触れる入口としていただければと思っています。この施設は、歴史博物館でもあり、美術館でもあり、植物園でもある。様々な形で遺跡を楽しんでもらえたら嬉しいです」

濵田さんから施設に込めた想いをうかがうと、たしかに、いろいろな楽しみ方ができることを改めて認識させられるのだった。

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弥生時代というと、はるか昔の、自分とは全くかけ離れた人々と思えるかもしれない。しかし、青谷かみじち史跡公園を訪ねると、そこには現代とも通ずる人の営みがあることに気づかされ、古代のロマンとともに、親しみを感じることができた。

2000年前、交易を通して多くの人々で賑わっていたこの地に、公園の開園によって、様々な地域から再びたくさんの人が訪れることを想像しながら、鳥取を後にした。

青谷上寺地遺跡へのアクセス
【電 車】●JR大阪駅からJR鳥取駅まで2時間30分、
鳥取駅から山陰本線で30分、JR青谷駅で下車し、徒歩で15分
【自動車】●山陰自動車道・青谷ICから車で5分
【飛行機】●羽田空港から鳥取砂丘コナン空港まで1時間10分
     1.最寄りのJR鳥取大学前駅まで徒歩20分、青谷駅下車
     2.空港連絡バスにて鳥取駅まで20分、JRで青谷駅下車

青谷上寺地遺跡周辺MAP

 

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