
Wikimedia Commons/The Modern Review. October 1913
連続テレビ小説『ばけばけ』では、ヒロインの松野トキとレフカダ・ヘブンの二人が出会ってから、距離を縮めていくまでがドラマチックに描き出される。では、そのモデルとなった小泉セツとラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、実際にどのようにして心を通わせていったのか。二人が、松江市北堀町の士族屋敷(現在の小泉八雲旧居)に居を移すまでの過程を紹介しよう。
※本稿は、鷹橋忍著『小泉セツと夫・八雲』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
セツとハーンが、いつ、どのように出会ったのかは明確ではない。しかし、出会いの時期は明治24年(1891)2月初旬、セツがハーンのもとで、住み込みで働くようになった頃だと考えられている(小泉八雲記念館『小泉セツ ラフカディオ・ハーンの妻として生きて』)。
桑原羊次郎著『松江に於ける八雲の私生活』には、富田旅館の女将ツネから聞き取った、セツとハーンの出会いが記されている。
それによれば、ツネは西田千太郎から、「ハーンに、誰か士族の娘を奥様として世話してもらいたい」と頼まれた。ツネは色々とあたっていたが、富田旅館で働くお信の友人である小泉セツという士族の娘が良いと決まり、ツネ方からハーンに紹介した。
ところが当日、末次本町の宍道湖岸にあるハーンの住居を訪れたツネに対し、ハーンはセツの手足が華奢ではないため、「節子(セツ)は百姓の娘だ」「手足が太い」「おツネさんは自分を騙す」「士族でない」とツネを咎めたという。
当時、テンポラリーワイフ(かりそめの妻)と同棲する西洋人も多く、ツネの話は、セツを単なる住み込み女中ではなく、このテンポラリーワイフともなり得るような女性として紹介したとの意味合いを窺わせるものであった(長谷川洋二『八雲の妻小泉セツの生涯』)。
このツネの話は、松江ではかなり流布していたようである。
しかし、セツとハーンの長男・小泉一雄は、『父 小泉八雲』において、「父は通いでいいから、誰か自分専用のハウスキーパーが欲しかった」とし、「『あの女は良い家柄にしては手足が太く、しかも荒れているが、士族とは本当か?』と尋ねたのは事実かもしれない」と一部は認めつつも、「父は『宿で妾を世話しろ』だとか、『テンポラリーワイフを取り持て』などと要求する性格ではないと思う」と否定している。
ハーンにとってセツが特別な存在になるのに、そう多くの時間は必要としなかった。
ハーンは、すぐに知ることになる。
セツが間違いなく士族の娘であることを─―。
セツの手足が太くて荒れているのは、少女の頃より家族を養うため、一日中、機織りの仕事に従事していたからであることを─―。
夫に捨てられ、没落した実家や養家を守るため、洋妾と後ろ指を指されることを覚悟して、住み込み女中の仕事を引き受けたことを─―。
セツの壮絶な没落と困窮は、ハーン自身の過去と重なり、セツの哀れな姿に、最愛の母ローザの面影を見たと思われる。
苦難に立ち向かう毅然としたセツの姿勢にも、ハーンは心動かされただろう。日本人の美質を体現したかのようなセツは、ハーンにとって、ただの住み込み女中ではなくなり、「妻」と位置づけるようになる。
その証拠に、セツの養家・稲垣家の親戚である17歳の高木八百が、のちに女中として雇われた。八百の父親によれば、その時期は「節子夫人ご結婚間もない」2月頃だったという(長谷川洋二『八雲の妻小泉セツの生涯』)。
一方、セツはハーンにどのような感情を抱いたのだろうか。
後年、セツは長男・一雄に、ハーンにはじめて会った時の印象を語っている。それによれば、セツは、ハーンの目が悪いことは知っていたため、彼が独眼でも、特に驚かなかった。ただ、痛々しく感じたという。
ハーンの鼻は高くて形良く、女性的な細面で、顎は尖り、口元は小さい。唇は臙脂を塗ったかのように鮮赤で、セツはそれを羨ましく思っている。髪と眉は真っ黒で、口髭は褐色なのを、不思議に感じた。
切り立った形の広い額から、セツはハーンが賢い人であることをすぐに悟ったが、僅かな音も立てずに、つま先でヒョイヒョイと歩く姿には、少しばかり気味の悪さを感じたという(小泉一雄『父小泉八雲』)。
第一印象も悪くなかったようだが、やがて、セツはハーンを心から愛するようになる。
明治24年(1891)春の、まだ寒さが身にしみる頃の夕方、セツは軒端に立って、穴道湖の景色を眺めていると、すぐ下の渚で、四〜五人の子どもが子猫を水に沈めて、苛めているのに気付いた。
セツはその子猫を家に連れて帰り、ハーンに事情を説明した。すると、ハーンは「おお、かわいそうの子猫 むごい子供ですねー」と、びっしょりと濡れて震えている子猫を、自分の懐に入れて温めた。その光景を目の当たりにしたセツは、深く心を動かされている(小泉節子『思ひ出の記』)。
セツのハーンに対する真の愛は、この時にはじめて目覚めた。これほどにも情が深く、心根のやさしい人があるかと思い、ハーンに対して、何かいじらしく、涙ぐましいものさえも感じたというのである(萩原朔太郎「小泉八雲の家庭生活」)。
年齢の差や国籍、言葉の壁を越え、惹かれ合ったセツとハーンは、同年6月22日、松江市北堀町の士族屋敷(現在の小泉八雲旧居)に、女中の高木八百と子猫を連れて、居を移した。
セツの手記『思ひ出の記』で、「一家を持ちました」と語られるこの転居は、二人にとって、何かのけじめや区切りであったのかもしれない。セツとハーンの新しい生活がはじまった。
明治24年(1891)セツ:23歳 ハーン:41歳
セツとハーンの新居となったのは、代々、禄高百石の松江藩士であった根岸家の武家屋敷である。
松江城の内堀に面したこの屋敷の家賃は3円、もしくは3円50銭。室数は10、畳数は52畳とかなり広く、加えて、美しい日本庭園に囲まれていた。
ハーンはこの日本庭園が大変に気に入り、浴衣と庭下駄で散歩し、山鳩が鳴くとセツを呼び、その鳴き声を真似してみせたという。
セツは英語をまったく解せなかった。ハーンも日本語は片言しか話せず、読み書きも終生、あまりできなかった。
そんな二人は出会った当初、ハーンが辞書を手に片言の日本語で意思疎通を図っていた。だが、複雑な話になると、ハーンの友人・西田千太郎の助けを借りることが、しばしばあったようである。
やがて、二人は、「ヘルン言葉」を作り出し、コミュニケーションを取っていく。
ヘルン言葉とは、日本語の単語や慣用句から助詞(てにをは)を抜き、動詞・形容詞の活用はなく、語順は英語という、セツとハーン二人だけの秘密の言葉である。
たとえば、「パパサマあなた、親切、ママに。何ぼ喜ぶ、言う、難しい」といった感じの言葉で、二人の子どもたちですら、よく解せなかった。子どもたちは、「パパとママは、誰にもわからない不思議な言葉で、誰にもわからない神秘を話している」と、誇らしげに仲間の子どもに語ったという。
更新:01月31日 00:05