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水を吸いにくい「飫肥杉」が活躍!降水量トップクラスの宮崎県に築かれた飫肥城

2025年08月31日 公開

久保井朝美(気象予報士)

飫肥城
復元された大手門には、水を吸いにくい地元産「飫肥杉」が用いられている

宮崎県にそびえる飫肥城には、全国でも有数の降水量を誇るこの地の雨対策として、地元産の飫肥杉が活用されているといいます。城好きで知られる気象予報士の久保井朝美さんが、日本の風土と城の工夫、天気を味方にした合戦や武将など、日本全国37の城を題材に「天気×城」の新視点を紹介した書籍『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』より紹介します。

※本稿は、久保井朝美著『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです

 

【飫肥城】
市指定史跡
宮崎県日南市飫肥10
JR 飫肥駅から徒歩10 分

 

晴れも、雨も、全国トップクラス

「日本のひなた宮崎県」といわれるほど、日照時間や快晴日数の多さが全国トップクラスの宮崎県。

日照時間が長いことに加えて、太平洋に面していて暖流の黒潮の影響を受けるため、温暖な地域です。プロ野球の春季キャンプ地としても知られています。もう一つ、宮崎県が全国トップクラスのものがあります。

それは、降水量です。晴れる日が多いのに意外に感じられますが、夏から秋にかけては梅雨前線や台風などの影響で雨が多くなります。特に梅雨の時期に雨が降りやすく、宮崎は6月の降水量の平年値が500ミリを超え、なんと東京の3倍以上です。

 

城の顔・大手門を、雨に強い地元産材で再建

飫肥城を訪れると迎えてくれるのが、1978(昭和53)年に再建された大手門です。外観が分かる資料がなかったので史実に基づくものではなく、ほかのお城の現存する大手門を参考に建てられました。ちなみに大手というのは「お城の正面」のことで、大手門は正面玄関にあたるため、立派な門が多いです。

飫肥城の大手門で注目したいのが、柱や梁です。樹齢100年以上の「飫肥杉(おびすぎ)」が4本使われています。

飫肥杉は地元で採れるスギで、雨が多い宮崎県に向いています。なぜなら飫肥杉は、樹脂を多く含んでいて水を吸いにくいからです。このため水や湿気に強くて腐りにくいのです。

水に強いだけでなく、油分が多いと水に浮きやすいので、船の材料として広く使われていました。

 

飫肥杉は、藩の救世主

実は江戸時代、飫肥杉が飫肥藩の財政を救いました。

飫肥藩は天然の巨木が多いことに目をつけて、マツやクスノキなどの木材を出荷して収入を得ていました。しかし、天然の木が減り、伐採後の山は荒れ放題になってしまいます。

そこで、飫肥藩は成長が早くて育てやすいスギ(飫肥杉)を中心とした植林を奨励します。飫肥杉のおかげで、安定した収入を得られるようになったのです。

本丸があった場所には、多くの飫肥杉が植えられていて「いやしの森」と呼ばれています。空に向かってまっすぐ高く伸びる木を見上げて、私は思わず背伸びしました。

また、飫肥城歴史資料館の下には、4本の飫肥杉が四隅に植えられているスペースがあります。ここは、「しあわせ杉」と呼ばれるパワースポットです。4本の飫肥杉が対角線に交わる中央に立つと、幸せパワーをもらえるそうです。

 

飫肥城とは  

戦国時代は伊東氏と島津氏が覇権争いをしていました。

豊臣秀吉による九州攻めで活躍した伊東氏が1587(天正15)年に城主になり、明治維新までの約280年にわたって城主を務めました。築城された年は不明ですが、江戸時代に大改修されています。

天守は建てられず、建物は御殿や門などがあったようです。

城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城
『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』(PHP研究所)

 

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