建国から今日に至るまで、日本はもちろん、世界に多大な影響を与えてきたアメリカ。2025年1月には、トランプ大統領が誕生しますが、歴代の大統領をよく知らないという人も多いのではないでしょうか。
そこで、近現代史を読み解く際の鍵となるアメリカ大統領について、8回に分けて紹介しましょう。6回目となる今回は、太平洋戦争中を語るうえで欠かせない第32代大統領フランクリン・ルーズヴェルトを取り上げます。
28歳でニューヨークの州上院議員となったフランクリン・ルーズヴェルトは、民主党内の若い改革派の旗手として、地元党組織の刷新を断行し、名声を得ます。ルーズヴェルトの党活動が時の大統領、ウィルソンの目にとまり、1913年、海軍次官に任命されました。遠い親戚のセオドア・ルーズヴェルトと、奇しくも同じキャリアを歩むことになります。
ルーズヴェルトはセオドアと同じく、中南米諸国へ海軍を派遣し、拡張主義をとりました。第一次世界大戦がはじまると、反ドイツの急先鋒として、海軍の予算と組織拡大に取り組み、勝利の立役者として注目を浴びます。 1920年の大統領選挙では、ルーズヴェルトはジェームズ・コックス大統領候補の副大統領候補に選出されます。ところが、コックスは共和党のハーディングに大敗してしまいます。
その後、1929年にはニューヨーク州知事となったルーズヴェルトは、1932年の大統領選に出馬して、勝利しました。
ルーズヴェルトは、ニューディール政策により、世界恐慌のどん底から、経済を立ち直らせたと高く評価されています。しかし今日では、ニューディール政策の効果が本当にあったのかどうかは、疑問視されています。
1938年に景気が再び悪化し、二番底へと向かい、GNPは6.3%減少、失業率は19%に拡大、株価は半減しました。その下落のスピードは、株価においても、鉱工業生産においても、1929年の恐慌に匹敵する深刻なものでした。
ルーズヴェルトは「日本の脅威」を喧伝し、危機を煽り、太平洋戦争へと突入していきます。ルーズヴェルトの前の大統領であったフーバーは著書『裏切られた自由』で、ルーズヴェルトを「狂人」と批判し、戦争を望んだのは日本ではなく、ルーズヴェルトだったと述べています。ニューディール政策の失敗を隠すため、また、ソ連の要望を満たすために、戦争を望んだとフーバーは主張しているのです。
また、ルーズヴェルトは日本人に対する強い人種差別的思想を持っていたことを、イギリスのキャンベル駐米公使などが証言しています。
実際、戦争がはじまると、ルーズヴェルトは「大統領令九〇六六号」に署名し、日系人を令状なしに捜査・連行することを可能にしました。日系人の強制収容所を建設し、多くの日系人の財産を奪った上、連行し、過酷な労働に従事させました。
その一方で、ルーズヴェルトはテヘラン会談を開催するなどして、ソ連のスターリンと協調しました。1945年2月のヤルタ会談では、日本の共同分割支配をスターリンと話し合い、ソ連の東欧諸国に対する支配権を認めます。しかしヤルタ会談の2カ月後、ルーズヴェルトは脳卒中で急死しました。
副大統領のトルーマンが大統領に昇格すると、ルーズヴェルトの日本の共同分割計画を撤回します。もし、ルーズヴェルトが急死しなければ、日本はドイツと同じ、分断国家になっていたかも知れません。
【宇山卓栄(うやま・たくえい)】
著述家。昭和50年(1975)、大阪府生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、現在に至る。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説している。著書に『「民族」で読み解く世界史』『「宗教」で読み解く世界史』などがある。