建国から今日に至るまで、日本はもちろん、世界に多大な影響を与えてきたアメリカ。2025年1月には、トランプ大統領が誕生しますが、歴代の大統領をよく知らないという人も多いのではないでしょうか。
そこで、近現代史を読み解く際の鍵となるアメリカ大統領について、8回に分けて解説しましょう。まずは、初代大統領ワシントンから取り上げます。
ワシントンはアメリカ移住民の4代目で、一族はヴァージニアの農園経営で成功していました。実直な人柄で周囲の信頼を獲得し、軍人として頭角を現します。
1775年、アメリカ独立戦争がはじまると、ワシントンは総司令官に任命され、ゲリラ戦法を展開してイギリス軍を翻弄しました。アメリカ軍は各地における自発的な志願兵により構成されていたため、それぞれの地の利を活かした陽動作戦を展開することが可能だったのです。
ワシントンは局所的かつ散発的にイギリス軍を奇襲攻撃し、追い詰めていきます。1781年、 ヨークタウンの戦いでアメリカ側の勝利が確定し、1783年、 パリ条約でイギリスがアメリカの独立を承認しました。
ワシントンは独立戦争を勝利に導いた功績で、1789年、アメリカの初代大統領に選ばれます。当初、ワシントンを国王に据えようとする動きもありましたが、ワシントンは「王制はアメリカ建国の精神に反する」と主張し、王になることを固辞しました。
イギリスの身分制支配や植民地支配に立ち向かってつくった自由を尊ぶ国、それがワシントンの考える「アメリカ建国の精神」でした。ワシントンの主張により、アメリカは王を置かず、大統領制に基づく共和国となることが決定しました。
ワシントンは大統領になってからも、質素に振る舞い、「閣下」という敬称で呼ばれることを嫌ったため、「ミスター・プレジデント」という呼称が定着します。
ワシントンは人の話をよく聞く上、決断力と行動力がありました。ワシントンの名声は高まり、大統領職二期目を周囲から要請されます。ワシントンはこれを断りますが、最後は要請を受け入れました。三期目を要請されたときには、断固として拒否したことで、大統領職は二期までという慣習がつくられました。
ちなみにこの慣例は、フランクリン・ルーズヴェルトによって破られます。第二次世界大戦中の危機対応を理由に、四期目(途中で病死)まで務めました。
また、ワシントンは党派政治を嫌いました。しかし、ワシントンの意思に反し、既に党派政治の対立構図は出来上がりつつありました。
財務長官のハミルトンと国務長官のジェファソンが、連邦政府のあり方を巡って激しく対立します。
集権型の政府を推進しようとするのが、ハミルトンなどの連邦派(フェデラリスト)で、それに反対し、分権型の統治機構を推進しようとするのがジェファソンら反連邦派(アンチ=フェデラリスト)でした。
ワシントンは連邦派に賛同していましたが、表向きは中立を装い、両派のバランスを取ることに苦心しました。
【宇山卓栄(うやま・たくえい)】
著述家。昭和50年(1975)、大阪府生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、現在に至る。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説している。著書に『「民族」で読み解く世界史』『「宗教」で読み解く世界史』などがある。