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刻み煙草用の包丁として一躍有名に...江戸幕府から専売のお墨付きが出た「堺刃物」

2024年12月23日 公開

兼田由紀夫(フリー編集者)

鉄砲鍛冶屋敷写真:堺の旧市街に残る「鉄砲鍛冶(かじ)屋敷」。近世の鉄砲づくりの遺構としては国内唯一のもので、施設内ではかつての鉄砲の製造方法などをわかりやすく紹介している

あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず!「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。

今回の逸品は、大阪府堺市の「堺刃物」。「堺打刃物」として経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、「堺打刃物」「堺刃物」は地元の堺刃物商工業協同組合連合会の登録商標でもある。堺はよく知られるように、戦国時代を動かした鉄砲の生産地である。同じく鉄を主素材とする刃物が、ここでどのように発展してきたのか。

そして、国内の料理人が使う包丁の大部分を占めるといい、近年は海外からも熱い視線を集める、その切れ味はどこから生まれてくるのか。「堺刃物ミュージアム」を擁する「堺伝匠館(さかいでんしょうかん)」にたずねた。

【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】
昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。

【(編者)歴史街道推進協議会】
「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。

 

茶人たちを支えた、先進的ものづくりの町

さかい利晶の杜写真:平成27年(2015)、堺の旧市街に開館した「さかい利晶(りしょう)の杜(もり)」。この町が生んだ二人、千利休と与謝野晶子の生涯と人物像を通じて、堺の歴史文化の魅力を発信している。隣接して利休の屋敷跡がある

中世都市として繁栄した堺は、その名の通り、摂津国と和泉国の境にあり、河内国の境界とも近い。戦国の世にあって、周囲に環濠(かんごう)を巡らした自治都市として独立を保持し、鉄砲をはじめとした最新技術品を量産して富を築いた。

自ら船を仕立てて海外との貿易にも取り組んだことも、その存在を大きなものとした。多くの戦国大名たちが、その経済力を頼みとし、町はその交渉の場ともなった。

そして、茶の湯などの文化が栄え、今井宗久や千利休といった時代を代表する茶人たちが現れる。もちろん彼らは、権力者たちがその地位を維持するために必需の、武器・武具などの物資を提供しうる商人でもあった。

近世に入ると、新たな経済都市である大坂に、多くの堺商人たちは拠点を移すことになった。ただ、それでも堺にはものづくりの基盤が維持され、多くの特産品が生産されてきた。その一つが、包丁をはじめとした刃物であり、現在の「堺刃物」というブランドの確立へとつながるのである。

 

古代からの鉄製品づくりを基礎にして

「堺伝匠館」2階にある堺刃物ミュージアム「CUT」写真:「堺伝匠館」2階にある堺刃物ミュージアム「CUT」の、刃物の製造工程を紹介する展示

堺市内には世界遺産に登録される、国内最大の前方後円墳である仁徳天皇陵をはじめとした百舌鳥(もず)古墳群が存在する。それらの古墳を築くにあたっては、多くの人員とともに鋤(すき)などの鉄製農工具が大量に必要であった。そのために、この地域に鉄器づくりの技術集団が集められ、製造に従事したという。

そうした技術はこの地に定着し、平安時代後半から室町時代には、河内鋳物師(いもじ)が、生活用品から梵鐘(ぼんしょう)まで金属製品を生産して世間に知られた。彼らの存在は、中世都市堺が成立した要因の一つであったとみられ、鉄砲の生産地としての発展の基礎ともなった。

天文12年(1543)、火縄銃が種子島に伝来。堺商人の橘屋(たちばなや)又三郎は、種子島に1、2年とどまって鉄砲の技術を学び、堺に戻ってその製造を開始した。「鉄砲又(てっぽうまた)」と呼ばれた彼を起点に生産は拡大し、堺産の鉄砲は「堺筒(さかいづつ)」という格別の名で呼ばれることになる。

短期間で堺が鉄砲の生産地としての地位を確立できた背景には、鉄を扱う技術がすでにあったことに加え、さまざまな部門の職人たちが集住していたことによって、鉄の銃身、木製の台座、火縄を据える発射機構など、部品ごとに分業で製造し、最終的に組み上げるという効率的な生産方法を実現でき、大量生産と品質向上が図られたことによる。

鉄砲の産地として紀州根来なども知られるが、これほどの生産体制が確立できたのは、堺をおいてほかにない。

徳川幕府が成立し、太平の時代に入っても、鉄砲の生産は継続した。大名やその家臣にとって鉄砲は、狩りなどの際にステータスを示す武具にして工芸品であったし、一方、市井の農民にとっては、田畑を荒らす鳥を追い、獣を排除する必携の道具であったからである。堺に残る鉄砲鍛冶屋敷には、そうした販売先を記録した帳簿などの資料も伝えられている。

とはいえ、やはり鉄砲の需要は、戦国乱世ほどではなかったであろう。それに代わって、新たな生産品として堺で台頭したのが、刃物であった。

南蛮貿易で伝来した煙草(たばこ)は、近世に入ると国内でも葉の栽培が盛んとなり、庶民にまで喫煙が趣味として広がる。そして、大量の消費とともに需要が高まったのが、葉煙草を刻む煙草包丁であった。

海外貿易の拠点であった堺には早くから煙草が流通し、近世初期から専用の煙草包丁が作られてきた。刻み煙草は繊細なほど良品とされ、堺の煙草包丁の切れ味はその要求に応え、かつ耐久性にも優れていたことから、全国に普及。

幕府もこれに着目して専売品とし、「堺極(さかいきわめ)」の印を付した。これが、刃物の生産地としての堺の名を知らしめ、料理包丁をはじめとする他の刃物製造の発展につながるのである。

 

和食とともに、海外からの熱い視線を集める

「堺伝匠館」1階の刃物の展示販売フロア写真:「堺伝匠館」1階の刃物の展示販売フロアにて。海外からの来館が絶えず、スタッフにも外国の人がいて、熱心に語りあうのも印象的

堺の刃物は「堺打刃物」とも呼ばれる。打刃物とは、素材である鋼と鉄を合わせて高温で熱し、金槌(かなづち)で打ち延ばして形に整える鍛造による刃物のこと。対して、家庭で使用される一般的な包丁やナイフは、ステンレスなどの板から金型で打ち抜いて加工したものや熱処理したものである。

鉄砲と刃物とは、その製造に直接のつながりはないとされる。しかし、包丁の製造においても、多様な職人が集まる堺という町を背景に、分業による生産が進められた。

つまり、鋼と鉄を重ねて鍛造する「鍛冶」、刃を研ぎ出して形を整える「研ぎ」、木の柄を取り付けて仕上げる「柄付け」の工程が、それぞれ別の専門の職人が手がける体制が採られているのである。

堺旧市街地のメインストリート、大道筋沿いにある「堺伝匠館」は、堺の伝統産業を紹介し、産品を販売する施設。特に堺刃物について充実し、1階の展示販売フロアのほか、2階に堺刃物ミュージアム「CUT」を設け、先に挙げた製造方法や現在の多種多様な刃物などを実物とともに解説している。

ここで堺刃物商工業協同組合連合会の理事長・福井隆一郎さんに、堺刃物の魅力と現在についてお話を聞いた。福井さんは、明治45年(1912)創業以来、堺打刃物の製造・販売を手掛けてきた企業の5代目でもある。

「堺の刃物は、調理を職業とするプロ用の刃物です。その特徴の一つは、片刃(かたは)であること。また、魚をさばいたり、おろしたりする出刃包丁や、切り身を刺身にする刺身包丁など、用途ごとに多くの形状があります」。

片刃とは、刃の一方の面だけが鋼でできていて、刃先がそちらに片寄っていることをいい、よって片刃の刃物には右利き用と左利き用がある。片刃は刃先の角度が鋭いことから優れた切れ味を持ち、食材の切断面を美しく仕上げることができるという。

「日本料理の主な食材である魚を切るために発達した刃物ともいえます。魚の繊維を切るということでは、切れ味一つで味わいも変わってしまいます。そこでの堺刃物の利点は大きい。この切れ味については、堺刃物が一番と、ほかの地域の刃物生産者からもいわれています」

「堺伝匠館」にいて驚かされたのは、ひっきりなしに海外からの訪問者が入館し、熱い視線で包丁などの品定めをしている姿である。しかし、現在の盛況を予測もできず、堺の刃物づくりの将来を危ぶむような時代があったと、福井さんはいう。

「平成25年(2013)に和食がユネスコ世界無形文化遺産に登録され、それ以来、状況が大きく変わりました。海外で和食が注目され、和食レストランも増え、そのおかげで調理に使う日本の刃物への関心が高まったのです。我々もまた、アメリカやヨーロッパなど海外のイベントに参加してPR活動を進めてきました。

毎年、ドイツのフランクフルトで開催される、ヨーロッパの総合的な家庭用品の見本市にも出展していますが、派手な看板を出さなくても、いまでは堺刃物というだけでブースに人が集まってくれます。ありがたいことです」

堺の刃物に対しては、日本の伝統技術、職人の技という評価もある。現在でも明治時代初期と同じやり方で、9割以上を手作業で製作を続けていると、福井さんは語る。包丁一本一本で出来具合が違う、それもまた妙味なのではないかと。堺伝匠館でも、海外の人たちが購入するのは、高価な名工の刃物が多いという。

ただ、今後に向けては課題も少なくない。鉄を打つ音が現在では騒音問題となりかねないこと、柄の部分に使われる朴(ほう)の木など素材の入手が難しくなっていること。さらに福井さんは続けていう。「鋼や鉄にもいろいろな種類があり、職人によって使うものが微妙に違います。そうしたこだわりに応えてくれる素材メーカーも少なくなってくるかもしれません。

しかし、現在の人気をブームに終わらせないためにも、職人の手によるものづくりということにはこだわりたい。やはり量産品では、これだけ人を魅了することは難しいでしょう」。伝統技術の結晶といえる工芸品であり、時のなかで研ぎ澄まされてきた実用品であること、それが堺刃物の魅力なのである。

 

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