2023年12月26日 公開
2024年09月10日 更新
写真:京都御所の西側、室町一条にある「本田味噌本店」の店構え
あのまちでしか出会えない、あの逸品――。そこには、知られざる物語があるはず!
「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。
第3回は、京都府京都市の「白味噌(しろみそ)」。関西のお正月には白味噌のお雑煮が欠かせないように、ハレの日の定番食材でもあります。この「ごちそう味噌」の実体に迫ります...。
【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】
昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。
【(編者)歴史街道推進協議会】
「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。
日本の食文化において欠くことができない、食品にして調味料である「味噌」。その起源は奈良時代の記録に現れる「未醤(みしょう)」といい、これが平安時代に「味噌」と表記されるようになったとされる。ただ、このころまで味噌は、豆などの素材の形を残した総菜的な醗酵食品であったという。
鎌倉・室町の武家の時代になると、戦場にも携帯できる保存食品として各地で盛んに作られ、また、擂鉢(すりばち)を使ってすり潰し、汁物にした味噌汁もこの時代から食されるようになった。地域ごとの個性が生まれるのもこの頃で、その一つとして誕生したのが白味噌である。そこには京都という地域の文化が大きく関わっていた。
写真:本田味噌本店の近くにある、御所の乾(いぬい)御門。現在、門の向こうは公園だが、かつては公家の屋敷が建ち並んでいた。この門をくぐって味噌を届けたのであろうか
大晦日の夜から元日早朝、京都東山の八坂神社境内に人々が集う。「をけら参り」に訪れた人たちである。灯籠に御神火を移した火が焚かれ、これを火縄の先に取って持ち帰る。縄先をくるくると回して宵闇に火の輪を描きながらゆく人もいる。
この「をけら火」を使って神棚の灯明を点け、また、「おくどさん(かまど)」の火を熾(おこ)して雑煮を作り、新しい年の無病息災を祈るという。
もっとも、かまどが家庭になくなった今は、火を消した縄を台所に祀って火伏せとしている。そして、かまどがなくとも、京の新年に変わらず欠かせないのが、白味噌仕立ての雑煮である。
よく知られるように、雑煮は主に餅を使った汁物という以外には、地域によって出汁や具材に大きな違いがある。それに白味噌を用いるのは、およそ関西一円の食文化である。
その基本のかたちは、昆布と鰹節で出汁を取り、具は里芋に、細い雑煮大根と赤い金時人参を紅白の彩りとする。餅は丸餅である。
京都の家庭では、里芋の子芋だけでなく、親芋の頭芋(かしらいも)も使い、人参を入れずに全体を白くまとめるところが多いという。
頭芋を入れるのは、立身出世と子孫繁栄を願ってのことで、切らずに一つまるごと入れるのが決まり事。特に家長の雑煮には大きな頭芋が椀にどんと入り、これを食べきらないとほかのお節料理には手を付けてはならないとされ、正月からなかなか大変な仕事となる。
しかし、京都をはじめとした関西の雑煮はなぜ白味噌仕立てなのか。そもそも白味噌とは、どういう食材なのか。京都でお雑煮に使う白味噌といえば、第一に名が挙がる老舗、本田味噌本店を訪ねてお話をうかがった。
写真:本田味噌本店の店内に展示されている御所の入門許可証「禁裏御所御出入御門鑑」など。ひょうたん型の道具は、代金の銀を量った携帯用天秤測
本田味噌本店の創業は天保元年(1830)、丹波杜氏で味噌造りの才があった丹波屋茂助が、現在の本店がある御所西側の地を宮家より賜り、御所に納める味噌造りの命を受けて事業を始めたといい、一般に販売を始めたのは明治維新以降という。
「弊社では創業時から西京白味噌と、うちでは赤味噌といっていますが、普通の味噌の両方を製造して御所に納めてきました。その白味噌については文献などでは確認できないのですが、鎌倉時代から室町時代に、公家の発想から造られるようになったといわれています」と教えてくれたのは、本田味噌本店の営業部副部長・田中淳子さん。
その白味噌と赤味噌のパックの裏にある原材料表示を示して、田中さんに解説していただいたが、実は白味噌も通常の味噌も基本的な原材料は同じ。大豆と米麹(こめこうじ)と食塩で造られ、ともに米味噌の範疇に入る。
ただし、分量の順で示されるその掲載順が異なる。つまり、通常の味噌は大豆と米麹の比率を1対1、もしくは大豆のほうを多くし、長期間熟成によって製造するが、一方で白味噌は米麹の割合を高くし、短期間の熟成で造られる。「西京白味噌」と銘打つ本田味噌本店の白味噌の場合、米麹を大豆の2倍ほどの比率で使用しているという。
また、塩分濃度も通常の味噌と白味噌では異なり、通常の味噌の場合、10%から12%だが、白味噌の場合はおよそ半分の5%程度。よって白味噌は通常の味噌ほどの長期保存はできず、色が変わる頃には風味も落ちてしまう。ただ、冷蔵・冷凍すれば、変化を遅らせることができるという。
「白味噌は宮中の節会(せちえ)の料理で使われるなど、公家文化のなかで重用されてきました。武士であれば、体力を使うことが多く、しっかり塩分の利いた味噌が好まれたと思います。また、兵糧として日持ちのよいものが必要だったでしょう。
しかし、公家さんはそれほど体力を使いませんし、まったりと甘いものを好まれたのではないでしょうか。甘いものが貴重だった時代、日持ちよりもすぐ食べておいしいものをということでもあったと思います」と田中さん。
高価だった米を贅沢に使う白味噌だが、公家文化の影響が大きい京都市中の暮らしにおいても、正月などの特別な日の食材として定着する。そして、京文化を手本とする畿内を中心とした地域にも広まることになった。
現在の京都では、雑煮や味噌汁以外でも、白味噌は一年を通してさまざまな料理で活用されている。春野菜の酢味噌和え、賀茂茄子田楽の田楽味噌、祇園祭に欠かせない鱧の湯引きも酢味噌でいただき、秋には里芋などの根菜に柚子味噌を合わせる。
加えて田中さんがこう教えてくれる。「京都ではお菓子にも白味噌を使ったものが少なくありません。今宮神社さん門前のあぶり餅、祇園祭の稚児餅、白味噌餡の柏餅や味噌松風という京菓子もあります。砂糖が貴重だった時代、甘味として白味噌が重宝され、京都の生活に取り入れられてきたことを感じます」。
そんな白味噌の旨味をそのまま味わえるよう、本田味噌本店ではあえて出汁を取らずに水と白味噌だけで仕立てた雑煮のレシピを提案している。ただの味噌汁の一種ではない、京文化の味わいをそこに感じたい。
写真:本田味噌本店店内。味噌を盛った桶とパッキングされた各種の味噌が並ぶ。実は味噌は、安心・安全の観点から製法の近代化が進む食品でもある
更新:11月21日 00:05