NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」もいよいよ後半がスタート。鎌倉殿、御家人たちがおりなす権力闘争から、ますます目が離せません。そこで、作家の秋山香乃先生、谷津矢車先生に、この時代と人物たちの魅力について語り合っていただきました。今回は「御家人編」です。
※2022年7月13日 談。本稿はPHP研究所「歴史街道YouTubeライブ」の配信内容を一部編集して掲載しております。
――今回は、鎌倉初期のイチオシ御家人について、お聞きしたいと思います。ここでは、北条氏はのぞいて1人ずつ挙げていただきます。ちなみに、読者への事前アンケートでは「鎌倉殿の13人」「十三人の合議制」のメンバーを中心に選択肢をあげて読者投票をしていただきましたので、その結果は後ほど発表するとして、まずは谷津先生から、イチオシの御家人を教えてください。
谷津 これ、迷ったんですよね、でも、あえて一人ということなので、僕は「三善康信」を上げたいと思います。
――おお! またマニアックなところに(笑)。
谷津 えっ、マニアックですか? 三善康信、いい男ですよ、この人。今回の大河だと小林隆さんが演じられていて、ちょっと頼りないというか、失敗も多いんですけど、人のいいキャラとして描かれている印象がありますね。でも、実際のあの人はどうだったんだろうというのが、すごく興味をそそられます。
三善康信は、これといった史料が残っていない人物でもあります。特に逸話もない。でも、小説家にとっては、とても興味をそそられる人物像なんです。
平家全盛の京都から、伊豆で流人生活を送る頼朝に月3回の報告書を送るって、どういう気持ちで送っているんだかってなりませんか? われわれは現代に生きているので、その流人がやがて平家を滅ぼし鎌倉幕府をつくることを知っています。だから「先見の明がある」となりますが、当時の頼朝は犯罪人ですから。たしかに康信は伯母が頼朝の乳母という関係ではありますが、でも月3回、危険を冒して報告書を送るというのは、すごい男ですよ。僕なんか、LINEすら、半月とか送らなかったりしますからね。三善康信には、マメを通り越して、じゃっかんの狂気すら感じます。
秋山 狂気って(笑)
谷津 それと頼朝が鎌倉に進出してから、三善康信は問注所執事をやっていますが、要は裁判機関なわけです。当時の裁判は基本的には土地訴訟です。自分の土地とあいつの土地の境界を決めようじゃないかということですが、これ、鎌倉時代においてはそうとうな修羅場ですよ。その修羅場をずうっとニコニコ……かどうかはわかりませんけど、とにかく大過なく過ごしているんです。もし何か落ち度があったり、かすめ取るような真似をしたら、間違いなく粛清されますからね。だから三善康信が長寿をまっとうできたということは、とんでもない偉業なんです。
優柔不断であったり、抜けているとこがあるなんていうのは、もう論外。そうとうカッチリした人物で、鎌倉武士たちを納得させるだけの実力があったはずで、小説家的にはかなりおもしろい人になりそうです。もしかしたら鎌倉を裏で動かしている人物としても描けるかもしれませんし、もちろん忠義の士としても描けます。
小説家は、人物を描くとき、ある程度の可塑性というか、扱いやすさみたいなものを考えます。三善康信のこの行間に漂う怪しさ、史料がそれほど残っていないということは、作家にとってものすごく魅力的なんです。だからこその三善康信さん推しです。
――ありがとうございました。まさか、三善康信で来るとは思っていなかったので、ちょっと驚きました。
――谷津先生が三善康信でしたので、編集部としては秋山先生にはぜひ、メジャー級を推していただきたいのですが……
秋山 私、実はですね、今から挙げる人と、この三善康信と悩んだんですよ。ただ、三善康信だと、「20年間、月3回の報告書を頼朝に送って、すっご~い」とか言って、10秒ぐらいで話が終わるなぁと思ってやめたんです(笑)。ですから私は、「岡崎義実」について語らせていただきます!。
谷津 おお、渋い!
秋山 岡崎義実は、石橋山合戦のあと、衣笠城を攻められて腹を切った三浦義明の弟で、三浦党の人です。頼朝の最初の挙兵、山木館襲撃のときから付き従った初期メンバーなんですね。頼朝から「おまえだけに打ち明ける。じつは挙兵しようと思っているんだぜい!」と言われて、「ああ、頼朝様は私にこんなことを打ち明けてくれて、こんなに信頼されていて幸せだー!」と、感激して、バァーって涙を流すんです。じつは頼朝はみんなにそう打ち明けていたという、有名なエピソードの中の一人です。
岡崎義実には佐奈田与一義忠という息子さんがいて、頼朝にすごいかわいがられていたんです。でも、石橋山の合戦で派手な鎧を身につけていたので、頼朝から「ちょっと、それ、派手過ぎない?」って言われるんです。「そんな派手なのを着ていたら、敵がわんさかやってくるよ」って、頼朝は与一に死亡フラグを立てちゃったんですよ。で、案の定、与一は討死にしてしまう。
その後、与一を討った長尾定景という人が捕まります。頼朝は岡崎義実に「お前の息子を殺した男はこいつだ。好きなやり方で殺せ」というんです。でも、義実は好きに殺せって言われても「えー!」と思うんですよ。鎌倉武士ですから戦で殺すことは躊躇しないけれど、無抵抗な男を目の前に連れてこられて「好きに殺せ!」と言われても、彼は優しいからほとほと困ってしまうんです。そこで自分のところに幽閉して食事と寝るところを与えて、「どうしよう、どうしよう」って悩み続ける間にズルズルと時が過ぎ、けっきょく翌年まで持ち越すんです。
この長尾定景という人は、いつも法華経を読んでいる人でした。頼朝はそういう人が大好きだったので、義実は「これだー!」と思って、頼朝に進言します。
「私だって、あの男のことは憎い。息子を殺したから憎いと思っています。でも、夢のお告げがあって、法華経をずっと読んでいるあの男を殺してしまうと、逆に自分の息子が成仏できないんじゃないかと不安になるのです。だから、あいつの命を助けてくれないですか」
そう頼んだのです。すると頼朝は「え! あいつ、法華経を読んでいるのか? じゃあ、俺の仲間じゃん!」ってことになり、長尾定景は許されるのです。ちなみに長尾定景はそのまま三浦党になって、のちに源実朝を暗殺した公暁を仕留める大活躍をしています。
岡崎義実さん、すごい優しいじゃないですか! 自分の子どもを殺されたのにそうやって命乞いをしてあげるなんて、いい人だと思いませんか? それで今回、ちょっと推させていただきました。岡崎義実さんはいい人、大好きです。
――ありがとうございます。秋山先生のお話を聞いていたら、私も岡崎義実、めちゃくちゃ好きになってきました。
秋山 でしょ。
――ええ。かっこいいです。
谷津 確か岡崎義実って、頼朝の前で、上総広常と服をめぐって喧嘩した人ですよね。
秋山 そうです。そうです。宴会のときに頼朝が着ている服をみて、「それ、頂戴!」って言ったら、頼朝が「いいよ」って言って、バッと脱いで、渡したら……。
谷津 上総広常が、「ジジイ、何を貰ってやがる!」みたいな感じで喧嘩したんですよね、確か。
秋山 そうそう。「それは俺のだ、俺が貰う!」「いや、俺のほうが似合うぞ」てな感じで大喧嘩になって、頼朝はただただあきれてみていたという(笑)。
谷津 ラブコメみたいな話ですね。
秋山 でも、頼朝は嬉しかったんじゃないですか。自分の服を取り合うなんて!
谷津 うん、アイドルみたいですしね。でも、岡崎義実は確かに一緒にお酒を飲んでみたいお爺ちゃんです(笑)。
秋山 そうそう。もうこのときは、お爺さんだったから、そのあと、あんまり活躍できないんですよ。戦にもそんなに出られなくて、最後、ちょっといろいろあったし、貧乏になっちゃって、政子に泣きつくというエピソードも残っています。
――大河ドラマでは曾我兄弟の敵討の頃、「頼朝め!」みたいな感じで怒っている場面がありましたが、秋山先生のお話を聞いていたら、「そういう一面もあったのか」と、あらためて惹かれました。
更新:11月22日 00:05