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長岡城を奪還せよ!河井継之助が激闘の果てに見たものとは

2021年08月16日 公開
2022年07月05日 更新

秋山香乃(作家)

 

愛してやまぬ長岡城下

明けかけた空の下、継之助は旗指物をあるだけ全部、城外からも見える城の八方に立てさせた。主君牧野家の御印が、勢いよくはためくと、万感の思いが押し寄せてくる。やがて、城外から歓声が上がった。誰が謡い出したか、徐々にそれらは1つとなり、郷土の歌謡長岡甚句に変わる。領民も藩士も一体となり、喜びに沸く姿を、継之助は見張り台へ駆けあがり、目の当たりにした。踊っている者もいる。

このときちょうど旭光が差し、継之助は眩しげに空を見上げた。これほど喜んでくれている領民の家を焼き、自分が愛してやまぬ長岡城下を、火の海と化した戦場に変えねばならぬ長い1日が始まったのだ。

城下の新政府軍は、この日から決行する予定の総攻撃のため、昨夜は酒宴を開き眠りについたところ、ほとんど寝入りばなを銃声や砲声に叩き起こされる形となった。

自分たちこそが仕掛けるつもりだっただけに、混乱と狼狽は激しかった。泡を喰って裸足のまま逃げ出す者、踏みとどまって命を捨てる覚悟で戦う者など、ばらばらである。

最激戦地となったのは、信濃川の渡し場で新政府軍の退却路となる草生津と、同盟軍の侵入路となる北方の要衝新町口だ。ことに新町口は強敵薩摩が守るだけに、長岡奪還戦の要となることは、初めからわかっていた。それだけに、継之助も最も信頼できる腹心三間市之進に任せている。

継之助は馬上の人となり、まずは草生津へ自ら馳せ参じた。敵兵を蹴散らし一方の憂いを取り除くと、いったん城へ戻り、全体の戦況を確認した。

ほぼ勝利は間違いないが、新町口は未だ死闘を繰り広げているという。檄を飛ばすため、今度は新町へと駆けた。

が、この道中、あってはならないことが起きた。継之助は左脚を撃ち抜かれたのだ。脛骨が砕かれ、骨が皮膚を突き破り、出血が甚だしかった。歩けなくなった継之助は、従えていた兵を新町口へ送り出すと、自身は近くの土蔵に身を寄せた。

この日、長岡藩は、一度落とされた城の奪還に成功するという快挙を成し遂げた。だが代償は大きく、奇跡を起こした将河井継之助を失ってしまうのだ。わずか4日後、長岡は再び新政府軍に占拠され、さらにその4日後には越後そのものが陥落した。

 

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