2021年07月21日 公開
2023年01月01日 更新
あまたいる戦国武将のなかから、各都道府県で一人ずつを選び、短編小説に――。
くじ引きの結果、第25回は、どこの県の誰なのか。
執筆者は、「くらまし屋稼業」シリーズが人気で、『童の神』が直木賞にノミネート、『八本目の槍』も「週刊朝日」の歴史・時代小説ベスト10で第1位を獲得、『じんかん』が山田風太郎賞を受賞、「羽州ぼろ鳶組」シリーズが第6回吉川英治文庫賞を受賞するなど、いま最も勢いのある若手歴史小説家・今村翔吾先生です。
この動画は、第25回のくじ引きを撮影したものです。
石川県といえば、江戸時代、加賀百万石といわれた前田家が治めていたことで知られています。
では、戦国時代の加賀国はというと……。
室町時代、加賀国の守護は、主に富樫氏でした。
応仁元年(1467)からの応仁の乱の際、富樫氏は兄弟で対立します。
守護の兄・政親は東軍につき、弟・幸千代は西軍についたのです。
当初、幸千代によって加賀を追われた政親は、本願寺の蓮如などの援助を得て、文明6年(1474)に幸千代を加賀から追い出し、再び当主の座に就きました。
幸千代を追放する際、本願寺門徒の力の大きさを知った政親は、彼らを抑え込もうとしますが、長享2年(1488)、反対に攻められ自害。いわゆる加賀一向一揆の始まりです。
政親の死後も富樫氏の一族が守護に就いたものの、加賀を実際に支配していたのは一向一揆勢でした。天正2年(1574)、泰俊の代で富樫氏は滅亡してしまいます。
その後も一向一揆勢は国人、僧侶、農民の寄合による自治支配を続け、越後の長尾氏(のちの上杉氏)や越前の朝倉氏の侵攻を受けるも撃退。
100年近く加賀を支配し続けましたが、天正8年(1580)、織田信長によって制圧されました。
加賀を任された佐久間盛政は、天正10年(1582)の本能寺の変後、柴田勝家に従います。しかし天正11年(1583)、賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ、斬首されました。
結果、信長から能登一国を与えられていた前田利家が、秀吉によって加賀国北半分も加封され、金沢城に入ることになります。
天正13年(1585)、利家の嫡子・利長に越中国3郡32万石が与えられ、その後も加増が続き、最終的に加賀前田家の石高は120万石となったのです。
120万石という石高を背負った、3代藩主前田利常を描いた連載第25回は、8月6日(金)発売の「歴史街道」9月号に掲載です。お楽しみに!
更新:11月21日 00:05