2021年03月10日 公開
2022年11月16日 更新
龍光寺(さくら市喜連川4317)
室町幕府を開いた足利尊氏の命により、創建された東勝寺が起源とされ、喜連川にかかわる足利家歴代の墓所がある。
慶長6年(1601)、頼氏の父・頼淳(よりあつ/頼純)が亡くなった際、戒名の頭の文字をとって龍光院と改称されて以来、頼氏からの喜連川藩主等の菩提寺となった。
墓所及び不定期公開の足利尊氏公木像は、市指定文化財。
璉光院(れんこういん:さくら市喜連川4643)
平安時代中期の天台宗の僧、源信(恵心僧都)の開基とされており、古河(こが)公方の氏姫と婚姻した初代の国朝と、国朝の母の供養塔がある。
璉光院は、国朝の母の戒名の頭の文字をとったもの。境内にある銅造阿弥陀如来坐像は、県指定文化財である。
荒川のふもとに生える槻の大木に九尾の狐が棲み着き、その影が月夜に璉光院まで伸びたという「影さし璉光院」という伝承も地元に残る。
また、『七つの子』『赤い靴』『シャボン玉』などの童謡の作詞家として知られる野口雨情が、喜連川出身の妻ヒロと訪れ、明治38年(1905)、「梅のお寺」として発表した詩の碑もある。
喜連川神社(さくら市喜連川4491)は素戔嗚命(すさのおのみこと)と奇名田姫(くしなだひめ)命の二柱を祭神とし、塩谷惟朝によって永禄6年(1563)に創建されたという。
塩谷氏だけでなく、喜連川足利家からも代々崇敬された。
疫病退散の神として近隣からの信仰も厚く、それを表す美術的民俗的価値の高い大型奉納絵馬(『神輿渡御図』県指定文化財)もある。
歴史ある天王祭は、勇壮な「あばれ神輿」や「百物揃いの行列」が行なわれる。
寒竹囲いの家
江戸時代中期、藩士の屋敷において、板塀などでは修繕が大変になるため、笹(オカメザサ)の密植を利用して生垣にすることを、六代・茂氏が推奨したという。別名「鼈甲垣(べっこうがき)」とも言われる。
寒竹囲いの家は、喜連川西町地区(さくら市喜連川4468付近)に見られる。
御用堀(さくら市喜連川4491付近)
防火と農業用水のために、喜連川足利氏十代・煕氏(ひろうじ)によって弘化元年(1844)に整備された。かつては、生活用水としても使われた。
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更新:11月22日 00:05