2020年04月23日 公開
2023年02月22日 更新
双方に「洋上の航空戦」という経験がないため、珊瑚海海戦ではいろいろと齟齬が生じている。
たとえば、どちらも航空戦のタイミングが摑めていなかった。
艦隊が動いていると燃料を消費するので、給油しなければならない。アメリカが給油している時間は、日本にとって攻撃のチャンスだ。しかし、攻撃機を出していない。これはアメリカも同じである。
珊瑚海海戦の戦闘経過を見ると、試行錯誤の連続といってもいいほどだが、未経験の戦闘であるだけに、戦訓を抽出する絶好の機会でもあった。
まず、空母戦はスピードが重要であること。上にお伺いを立てていたら間に合わないのだ。したがって、現場で判断し、行動できる体制が必要になる。
実際、アメリカは珊瑚海海戦後、現場の権限を強化している。
一方、日本は中途半端な権限しか現場に与えられず、連合艦隊司令部や上部艦隊司令部にお伺いを立てる体制が続いた。
それから、偵察の問題がある。
日本もアメリカも、偵察機が間違った報告をしたり、敵の発見に失敗したケースが目につく。偵察の精度で、戦果が大きく変わった。
この点について、珊瑚海海戦後に作った日本の戦訓調査報告は、「偵察機搭乗員の未熟」という認識で結論づけた。しかも、「第一航空戦隊であれば、こんなことにはならないだろう」といわんばかりの記述になっている。
しかし、第一航空戦隊が活躍した真珠湾作戦は、偵察の必要がなかった。攻撃目標は地図に書いてあるからだ。日本が偵察機を飛ばしたのは、敵兵がいるかいないかを確認するためでしかなかった。
したがって、第一航空戦隊のパイロットでも珊瑚海海戦では苦労したはずだが、戦訓調査報告は、「偵察をどうやったらいいか」というところまであまり踏み込んでいない。
一方、アメリカは偵察をより重視するようになる。連合艦隊の参謀だった中島親孝氏が戦後調べたところによると、台風が来て「飛行機を飛ばしたら戻れない」という場合でも偵察機を出し、殉職するパイロットが出たという。それぐらい偵察は徹底的にやっていた。
このあたりの相違は、日米の「情報」に対する姿勢の違いから来ているかもしれない。
アメリカの情報収集にかける執念は、すごいものがある。たとえば、日本の艦艇を沈めると、浅い場所ならダイバーを入れて艦内を捜索させ、暗号書などを引き上げているのだ。
逆に日本は暗号書の管理が緩く、簡単に拿捕される可能性のある監視船がレベルの高い暗号書をもっていたり、重要書類を積んでいることもあった。
「情報が大局を変える」という意識が、アメリカは高く、日本は低かったのである。
更新:11月23日 00:05