2019年11月29日 公開
2023年10月04日 更新
「サムライめし」というと、どんなメニューをイメージされるだろうか。ヒントは、白河を代表する食文化だ。
答えは……そば。
白河のそばの歴史は、約200年前にさかのぼる。寛政の改革で知られる白河藩主・松平定信が、冷害に強いそばの栽培を奨励したことに始まったとされ、そのおかげで天明の大飢饉の際にも餓死者を出さなかったという。
ところで、そばが現在の「麺状のそば」になったのは、江戸時代中期ごろのこととされる。それ以前はそば粉をこねてお餅にしたり、そばの実を炊いてお粥にしていたという。
今回のサムライはめし、そんなそばの歴史を辿りながら、そばの魅力を味わっていただこうと、小峰城ほど近くにある蕎麦処・大福家さんが用意してくれたもの。
まず一品目は、そば粉をお湯でこねてお餅状にした「そばがき」と天ぷら。
二品目は、「そば粥」で、そばの実をお米と炊いてお粥にしたもの(下段左)。三品目は「そばの刺身」で、そばを短冊状に切り、ゆでたもの(中段中央)。
そして四品目が「そば切り」、つまり現在の「そば」(中段左)。最後は甘味として、生地にそば粉を練りこんだ「そばの大福」(上段左)。
大人も子どもも、そばの変遷に驚きつつ、「昔は、こうやって食べていたのかぁ」と、会話を弾ませながら舌鼓をうつのだった。
名城を観て、サムライめしで胃袋を満たした一行は、バスに乗って西へ。
到着した先は、「大内宿」。江戸時代に宿場町として栄え、現在も茅葺屋根の民家が建ち並ぶ人気の観光地だ。
撮影:(公財)福島県観光物産交流協会
歩くだけでも情緒たっぷりの宿場町だが、今回は、江戸時代の気分をもっと満喫できる仕掛けが用意されていた。
それは、「着物」。和装で、大内宿を歩こうというのである。
このツアーのために、観光ボランティアの方々が着付けをしてくださり、大人も子どもも着物姿に。
そして、着物に着替えた一行が大内宿の街道に入ると、宿場町の雰囲気と和装が溶け合い、一幅の絵のよう。まわりの観光客からも、「素敵ねえ」との声があがっていた。
徐々に日も暮れ、幽玄な雰囲気に包まれた宿場町を後にし、一行は次の目的地へ。とはいえ、もう夕闇が迫る時間だが、いったいどこへ……。
更新:11月22日 00:05