2019年08月14日 公開
2023年01月05日 更新
東京国立博物館の特別展で話題となっている「三国志」。現在発売中の月刊誌『歴史街道』9月号では、「三国志・男たちの五大決戦」と題し、官渡、赤壁、五丈原など5つの決戦を取り上げ、名将たちがいかに決断したかに迫っている。
しかし、そもそも三国志とは何か、いかにして後世に伝えられたのか、英雄たちの実像がいかなるものだったのか、基本を知りたいという方も多いだろう。ここでは、三国志研究の第一人者である渡邉義浩氏による解説を、2回に分けて紹介しよう。
※本稿は、歴史街道2019年9月号「三国志・男たちの五大決戦」特集掲載記事より、一部を抜粋編集したものです。
ひと口に三国志といっても、二つの三国志があります。
ひとつは、14世紀の明の時代に羅貫中がまとめた小説『三国志演義』(以下、『演義』)。
もうひとつは、3世紀後半に陳寿が著し、後に正史、すなわち正統な歴史書と位置づけられる『三国志』(以下、『正史』)です。
まずはそれぞれの違いについて、触れておきましょう。
三国志は魏・呉・蜀の三国が争った時代ですが、『演義』は劉備が樹立した蜀を正統な王朝とします。
そのため、全体として蜀びいきで、劉備、関羽、張飛の三義兄弟が華々しく活躍し、漢帝国からの皇位簒奪を目論む悪玉・曹操に立ち向かっていくという筋立てとなっています。
これは日本人にはなじみ深く、多くの人がイメージする三国志の世界は、『演義』に基づくものといっても過言ではないでしょう。
また『演義』の特徴として、「奸絶 (奸のきわみ)」である曹操、「智絶 (智のきわみ)」である諸葛亮に、「義絶 (義のきわみ)」である関羽を加えた三人が、物語の中心に位置づけられていることがあります。
もっとも、小説とはいえ、私はその資料的価値が低いとは思いません。
清の史家は『演義』を、「七分の史実に、三分の虚構」と評していますが、まさにその通りで、大筋は史実に基づいていながら、巧みに虚構も取り入れている。決して荒唐無稽ではなく、非常によくできた小説なのです。
更新:11月21日 00:05