2019年08月15日 公開
2022年01月21日 更新
ニュルンベルク裁判と東京裁判の被告たちは、国家の中枢で政治や軍事を動かしてきた人たちで、いずれも「通例の戦争犯罪」(交戦法違反など)に加えて、ロンドン協定に盛られた「平和に対する罪」と「人道に対する罪」で訴追された。これらの人たちは、その他の戦犯容疑者と区別するために「A級戦争犯罪人容疑者」と呼ばれた。
その他の戦犯容疑者、すなわち「通例の戦争犯罪」容疑だけの人たちは「BC級戦争犯罪人容疑者」と呼ばれた。国際軍事裁判所条例では「通例の戦争犯罪」を行った者はB級、「人道に対する罪」を犯した者はC級と区別されていたが、実際は殺人や虐待などの残虐行為を命令する立場にいた各級指揮官などをB級、それらの犯罪の実行者をC級としていたともいう。
しかし現実にはB級とC級の区別は難しく、日本軍将兵を裁いた戦勝7カ国(アメリカ・イギリス・オーストラリア・オランダ・フランス・中国・フィリピン)が開いた49の軍事法廷では、「BC級戦争犯罪人」として一括処理された。
A級戦犯容疑者の逮捕令は1945年9月11日に発せられ、延べ100余人が逮捕された。これら容疑者からA級戦犯を絞り込む作業は国際検事局が行い、最終的に28人を起訴した。
極東国際軍事裁判の検事団で最も早く来日したのは、首席検察官を務めるキーナン検事をはじめとするアメリカ検察陣で、1945年12月6日だった。A級戦犯の選定は、実質的にはこの米検察陣によって行われた。そして翌46年2月に中国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの代表検事が次々と来日し、引き続いて戦勝九カ国の裁判官たちも来日した。その後、裁判所条例が改正され、インドとフィリピンからもそれぞれ裁判官が追加任命されて合計11人となった。
《市ヶ谷台の法廷に勢ぞろいした裁判官(判事)たち(1946年5月6日)。》
更新:11月23日 00:05