2019年07月18日 公開
2022年01月21日 更新
《片山内閣総辞職を受けて開かれた昭和23年2月21日の衆議院首班選挙で、民主党総裁の芦田均が選ばれた。衆議院の議席は社会党123、自由党119、民主党106で、民主党は第3党だったが、芦田は社会党などの支持を受けて216票を集め、吉田茂の180票を押さえて選出された》
先の大戦に敗れた日本は、初めて「連合国」という名の外国の軍事力によって6年8カ月ものあいだ占領され、統治される経験を強いられた。
この占領期に関する記録や出版物は膨大な数に上っているが、写真を中心とした“目で見る占領史”は必ずしも多くはない。
当時、まだ時の状況を写真や映像に記録しておくだけの態勢が整っていなかったからでもあろう。
だが今日、「占領期」という時間が、いよいよ「歴史」となり、研究の対象として当たり前のものとなった。
今後、さまざまな新事実が究明されていくであろう、その時のために、現在の視野をビジュアルで示しておこうと刊行されたのが『写真でわかる事典 日本占領史』(平塚柾緒著、PHPエディターズグループ刊)である。
※本稿は、同書の一部を抜粋、編集したものです。
平塚柾緒(ひらつか まさお)
1937年、茨城県生まれ。出版社勤務後、独立して取材・執筆グループ「太平洋戦争研究会」を主宰し、数多くの元軍人らに取材を続けてきた。著書に『東京裁判の全貌』『二・二六事件』(以上、河出文庫)、『図説 東京裁判』(河出書房新社)、『見捨てられた戦場』(歴史新書)、『写真で見る「トラ・トラ・トラ」 男たちの真珠湾攻撃』『太平洋戦争裏面史 日米諜報戦』『八月十五日の真実』(以上、ビジネス社)、『玉砕の島々』(洋泉社)、『写真で見るペリリューの戦い』(山川出版社)、『玉砕の島 ペリリュー』(PHPエディターズ・グループ)など多数。原案協力として『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─』(武田一義著・白泉社)がある。
1948年(昭和23年)も、国民は戦争による国力の疲弊と生活苦に追われた1年であった。
その1948年の新年早々、人々は悲惨なニュースに驚愕した。40余人の乳幼児を殺害した「寿産院事件」の発覚である。
1月15日、東京都新宿区市谷の寿産院の経営者で助産婦の石川ミユキと夫の猛が殺人罪で逮捕された。
石川夫妻は1944年から4年間に乳幼児103人を預かり、一人につき数千円から9000円の養育費と配給品をもらいながら、食べ物を与えず餓死させていたという。広告を出して子供の欲しい人には、一児につき400円から500円の謝礼を取って売ってもいたが、乳幼児の母親の大半が愛人やホステスで、偽名で預けっぱなしにしていたことが、長い間発覚しなかった大きな原因だった。
《運良く生き残ったものの、衰弱しきった5人の乳幼児の健康状態を調べるGHQ公衆衛生福祉局のJ・エバンス室長と神奈川軍政府分遣隊のフューラー夫人(1948年1月16日)》
しかし、多くの人々はニュースに驚きはしたものの、実際は他人の不幸に同情している閑も、心の余裕もなかった。鉄道運賃や郵便料金をはじめ、電気、新聞、酒、煙草など、あらゆるものが値上がりしてインフレーションは増長し、人々は日々の生活に汲々としていたからだった。
更新:11月22日 00:05