2019年06月25日 公開
2021年08月17日 更新
《1904年にアメリカで出版された絵本の挿絵。ペロー版》
これらのシンデレラ物語は、明治期になり、日本にも広がった。紙媒体に掲載された最古の翻訳作品は、1886年、『郵便報知新聞』(『報知新聞』の前身)に掲載された「新貞羅」といわれている。翌87年には、日本で初めてグリム童話の翻訳本として、菅了法による『西洋古事神仙叢話』が出版され、「シンデレラの奇縁」が収録された。
また、忘れてはならないのが、ペロー版「シンデレラ」を底本とした、坪内逍遙による「おしん物語」である。
1900年、高等小学校の教科書に掲載された同作は、シンデレラ→おしん、魔法使い→弁天様、王子→華族の若殿、舞踏会→園遊会、ガラスの靴→扇といったように、設定が大胆に日本化されていて、非常に興味深い。
シンデレラ物語を世界中に伝播させたのは、やはりディズニーの存在が大きい。
宮廷文化の影響を色濃く残すペロー版のシンデレラが、アメリカで広く受け入れられたのは、惨めな境遇に耐え、王子様と結婚するというシンデレラ物語が、アメリカ国民の心に根付く「アメリカン・ドリーム」をイメージさせるものであったからにほかならない。
ディズニーは、シンデレラを金髪の美しい白人女性として描き、舞踏会での王子との出会いも、非常にドラマチックに描いている。それが、美しい音楽と映像という効果と相まって、人々の心に強烈な印象を与え、現在も世界中の女性たちを魅きつけるシンデレラの姿を作り出したのである。
誰もがよく知る「シンデレラ」だが、世界の歴史や文化とひもづけて見ていくと、また違った楽しみ方ができるのではないだろうか。
参考文献‥『シンデレラの謎』浜本隆志/河出書房新社
※本稿は、歴史街道2019年7月号に掲載したものです。
更新:11月23日 00:05