ダグラス・マッカーサー米陸軍元帥(米太平洋陸軍総司令官)が、神奈川県の海軍厚木飛行場に降り立ったのは1945年8月30日である。以後、マッカーサー元帥はGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の最高権力者として、日本の占領政策を統轄した。形式的には49カ国による連合占領だったが、実質はアメリカ一国による統治であった。
9月2日、東京湾に浮かぶ米戦艦「ミズーリ」号で、日本と連合国との降伏調印式が行われた。米陸軍をはじめとする連合国軍の東京進駐と同時に、マッカーサー最高司令官も総司令部を横浜から東京・日比谷の第一生命ビルに移し、本格的な日本統治を開始した。
GHQは当初、軍政と軍票による統治を考えていたが、日本政府の粘り強い交渉の結果、日本政府を介しての間接統治とすることにし、軍票も用いない方針に転換した。
その日本管理政策の内容は、
1)武装解除と軍国主義の抹殺
2)戦争犯罪人の処罰
3)個人の自由と民主主義の助長
4)経済の非軍事化
5)平和的経済活動の再開
6)労働・産業および農業における民主主義的勢力の助長
7)侵略財産の賠償
8)在外資産の処分と返還
など、政治、経済、国民生活の各分野に及んでいた。
特に、その民主化政策の矢継ぎ早の指令は、時の東久邇宮稔彦内閣には対応しきれなかった。すなわち、10月4日の「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃」指令は、特高警察の全員罷免や政治犯の即時釈放はもとより、天皇に関する言論の自由も含んでおり、皇族内閣が実施できるものではなかった。東久邇宮内閣は翌日総辞職、幣原喜重郎内閣の誕生となった。
かつて幣原には、欧米との協調外交を推進して軍部から睨まれた経歴があり、欧米流の個人主義や自由主義についてある程度の理解を持っていた。幣原首相は就任の2日後に総司令部を訪問したが、マッカーサーは直接、いわゆる民主化5大政策の即時実施を要求した。
1)婦人参政権などによる婦人解放
2)労働組合結成の奨励
3)学校教育の自由化
4)秘密審問司法制度の撤廃
5)経済機構の民主化
などである。これらを実現させるために、以後、幣原内閣は明治憲法の改正に着手するとともに、獄中の政治犯の釈放、衆議院議員選挙法の改正、労働組合法の成立、占領政策に反対する軍国主義者教員の罷免、国家保安法・軍機保護法・言論出版集会結社取締法の廃止、財閥解体(持株会社の解散など)、農地解放への着手などで応えた。これらはいずれも、国民の自由を解放する政策として歓迎された。すでに、東條英機元首相など戦犯容疑者の逮捕も始まっており、硬軟織りまぜたGHQの占領政策は早いテンポで進められていった。
平塚柾緒(ひらつか・まさお)
1937年、茨城県生まれ。出版社勤務後、独立して取材・執筆グループ「太平洋戦争研究会」を主宰し、数多くの元軍人らに取材を続けてきた。著書に『東京裁判の全貌』『二・二六事件』(以上、河出文庫)、『図説 東京裁判』(河出書房新社)、『見捨てられた戦場』(歴史新書)、『写真で見る「トラ・トラ・トラ」 男たちの真珠湾攻撃』『太平洋戦争裏面史 日米諜報戦』『八月十五日の真実』(以上、ビジネス社)、『玉砕の島々』(洋泉社)、『写真で見るペリリューの戦い』(山川出版社)、『玉砕の島 ペリリュー』(PHPエディターズ・グループ)など多数。原案協力として『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─』(武田一義著・白泉社)がある。
更新:11月25日 00:05