2018年11月22日 公開
2022年01月27日 更新
「なぜこうもうまく行かぬのだ、この戦は」
笹尾山の帷幄で苛立つ石田三成を前にして、島左近は諭すように語る。
「それが戦の常というものでございましょうよ」
生まれながらの戦人は、最期の戦いに何を想ったのか。
陣幕を手で払いながら、島左近は眼前に目を向けた。
ここ笹尾山の山頂から眺めた関ケ原には深い霧が垂れ込め、とうの昔に顔を出しているはずの朝日さえも覆い隠している。幸先の悪いことだ、と短く舌を打って踵を返すと、左近は首を振りながら帷幄へと戻る。
「どうだった」
軍議用の床几が居並んでいるその一番奥に、戦直垂姿の男が腕を組み、腰かけていた。
顔には隈が浮かび、いつもは智の光を宿した目も今日ばかりは所在なげに泳いでいる。
宿酔であるかのように顔を青くしているのは、主君の石田三成である。
左近は肩をすくめ、わざと豪放に笑ってみせた。
「一寸先は闇ならぬ、一寸先は霧の塩梅ですな。これは難儀、難儀」
口ぶりが気に入らなかったのだろう、三成は声を震わせ、口から泡を飛ばした。
「おどけておる場合か」
いささか三成の口ぶりには落ち着きが欠けていた。
主君三成の真骨頂は政にこそある。だからこそ、戦人の己は今ここにいる。
親子ほども歳の離れた主君の怒気をいなしながら、左近は床几を引き寄せ、三成の近くにどかりと腰を落ち着けた。
「霧が出ておるということは、敵も俄かには動けますまい。天地の在りようは、敵味方に等しくのしかかるものでござるゆえ」
もっとも、徳川勢は既に関ケ原東の桃配山に対陣している。これだけ相手の姿が見えぬとなれば、不用意に戦が始まる恐れもあるが、あえてその懸念は口にしなかった。
三成はなおも納得しない様子で、忌々しく天を見上げた。だが、ややあって、三成は机代わりに用いていた搔楯を拳で叩いた。
「なぜこうもうまく行かぬのだ、この戦は」
「それが戦の常というものでございましょうよ」
左近は生まれながらに戦人であっただけに、戦がままならぬものであることは百も承知している。馬の鬣に顔をうずめ、敵兵の血を浴び、数多くの戦で赫々たる軍功を上げてきた。その経歴と軍略の手腕を買われて石田家中に三顧の礼で迎えられた左近からしても、今回の戦は複雑怪奇としか言いようがなかった。
更新:11月24日 00:05