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ローマ vs. カルタゴ ポエニ戦争はアレクサンドロスの跡目争いだった

2018年10月23日 公開
2018年10月23日 更新

佐藤賢一(作家)

第2次ポエニ戦争
 

バルカ一族の親子二代にわたる偉業

前218年に始まる第二次ポエニ戦争ですが、これは史上まことに名高い戦いですね。登場するのが、戦の天才ハンニバル・バルカです。この人がアレクサンドロス大王の再来というか、まさに歴史上の傑物でした。

似ているといえば、ハンニバルの場合も父親から話が始まるところです。ハミルカル・バルカという人で、第一次ポエニ戦争でローマに唯一負けなかったカルタゴの将軍、海戦でなくシチリアに上陸して陸戦を戦って、最後まで抵抗したという将軍でした。

このハミルカルが捲土重来を期して進めたのが、ヒスパニアの植民です。今のスペイン、ポルトガルのイベリア半島ですね。ケルト人が諸部族に分かれて暮らしていた土地でしたが、それを押さえて、カルタゴの戦略拠点に変えたんです。カルタヘナという都市が今もありますが、あれがバルカ一族が築いた都で、「新カルタゴ」の意味ですね。

ハミルカルの死後、この父親が整えたイベリアから、ハンニバルは出撃します。29歳の若さで、このあたりもアレクサンドロスを彷彿とさせますね。進軍も同じく電撃的─と行きたいところですが、さて、イベリアからローマまで、どうやって行こうかと。

普通に考えれば、イタリアまで船で行けばいいとなるんですが、カルタゴ艦隊は第一次戦争で壊滅してしまい、その後の講和でも自由な航行は許されていないんですね。制海権はローマにある。それなら陸から行くしかない、歩いて行けばいいじゃないかとなるかもしれませんが、普通は行きませんね。

イベリアからだと、遠回りになります。まずピレネ山脈を越えて、今のフランス、ガリアに入らなければならない。これを横断したところで、まだイタリアでさえない。リヴィエラ海岸、今のジェノヴァに通じる地中海沿岸を行けば、ローマ軍に迎え討たれてしまう。じゃあ、どうするのかとなって、ハンニバルがやったのが、伝説のアルプス越えでした。

道はありましたし、山岳民族のガリア人もいて、案内も頼める。しかし、アルプスに軍隊を通すという発想は、かつて誰にもなかったんですね。軍隊のアルプス越えはナポレオンの時代でも偉業とされるほどですから、ましてやハンニバルの時代は文字通り前代未聞の、壮挙というか、暴挙というか。

アルプスに行ってみたことがありますが、なんといいますか、山という山が、空から巨大な楔でも打ちこんだんじゃないかという格好で、切り立っているんですね。さすがに今は舗装道路が通じていますが、それでも途中には信号機付で片側交互通行というような隘路が残っていると。そんなところにハンニバルは、軍隊を通したわけです。人だけじゃなく馬も通したし、なんと象まで通したというんです。

インパクトある進軍だったと思います。もはや意表を突くという次元でもなくて、実際ローマは最初は信じませんでした。カルタゴ軍なんて、なに寝言いっているんだと。アルプスから来たなら、ガリア人の反乱だろうと。

それが本当にハンニバルでした。驚かせが十八番かと思っていれば、これが戦わせても連戦連勝、めっぽう強い。いや、もう強いなんてレベルじゃなくて、ほとんど悪鬼のようだと。ローマで子供がダダを捏ねると、親は「ハンニバル・アド・ポルタス(もうハンニバルは玄関だ)」と脅したといいますから、まさしく鬼扱いですね。

むべなるかなと思わせるほど凄まじかったのが、前216年のカンナエの戦い─ハンニバルの天才が最も発揮された戦いです。用いたのが包囲殲滅作戦で、斜線陣で構えて、ローマ軍の中央突破を抱きこむように変形して、最後には全方位から取り囲むというものです。

理屈としてはわかります。今も士官学校では戦術の手本として教えられるそうですが、実際の戦場でこれだけ見事に実行できたのは、史上ハンニバルひとりだけでしょうね。鮮やかすぎて、ローマ軍は何もできない。ほぼ全滅の状態で、その一日だけで7万の兵士が死んだといいます。

砲弾とか、爆弾とか、核兵器とか、科学技術で大量殺戮が可能になった時代は別ですが、少なくとも原始的な弓刀槍の戦争では、意外に人が死ななかったという説があります。脅し合いというか、勝負は威嚇で8割方ついていて、実際の戦いというのは、すでに弱気になっている敵を敗走に追いやるだけ、最後の駄目押しにすぎないというんですね。

説得力がありますが、そんな時代にハンニバルは死者7万の殲滅作戦です。ひとつ時に、ひとつ場所で、これだけの人間が死んだのは、これも史上初の大事件だったでしょう。

それだけ壮絶な戦いです。それからも連戦連敗、次から次と兵士に取られるものだから、人口を三分の二まで減らされて、都市国家ローマは存亡の危機です。ローマ連合だって、南イタリアではカルタゴ側に寝返る都市が相次いで、崩壊の瀬戸際まで追いやられます。もう属州ができたなんて、大喜びしている場合じゃない。

ところが、ここからローマは巻き返します。カプアを拠点に南イタリアに居座るハンニバルに対して、不戦戦術、焦土作戦に訴えるんですね。戦えば負けるなら、戦わなければいい。食糧を渡さなければ、カルタゴ軍は引き揚げるしかなくなる。それで勝ちなのだという論理です。

ファビウスという独裁官が行ったので、今に至るまで「ファビウス戦術」といわれますが、この総力戦の形も史上初めてですね。戦争は停滞して、十数年と長引きます。その間に出てきたのが、ローマの側の英雄プブリウス・スキピオでした。

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