2018年04月09日 公開
2019年03月27日 更新
佐倉順天堂
藩主堀田正睦の招きを受けた佐藤泰然が天保14年(1843)に開いた蘭医学の塾兼診療所。明治医学界をリードする人々を多数輩出。現在は当時の建物の一部が残り、千葉県の史跡に指定されている。
明治5年4月10日(1872年5月16日)、幕末の医師・佐藤泰然が亡くなりました。松本良順や林董の実父で、順天堂の創始者として知られます。
文化元年(1804)に、庄内藩出身の公事師(くじし、訴訟の代行業のこと)・佐藤藤佐(とうすけ)の子として江戸に生まれた泰然は、早くから蘭方医を志し、シーボルトに学んだ高野長英らに師事します。
天保6年(1835)、32歳の時に長崎に赴いて修業し、9年(1838)に江戸に帰ると、両国薬研堀で医院「和田塾」を開きました。今も薬研堀不動尊の境内に、順天堂発祥の地の碑が建っています。やがて蘭方直伝の手術を行なう医者として江戸でも知られるようになり、弟子入りする若者も多くいました。
泰然は弟子たちへの教育も熱心だったようです。 天保14年(1843)、40歳の時に下総佐倉藩主・堀田正睦の招きに応じて、佐倉に移住。そこで病院兼蘭医学塾「佐倉順天堂」を開きました。現在の順天堂大学の前身で、順天は「天道にしたがう」という意味です。
泰然は当時から、高度な外科手術を行なったことで知られます。嘉永4年(1851)、48歳の時に日本初の「膀胱穿刺(ぼうこうせんし)」手術に成功したことをはじめ、卵巣水腫(らんそうすいしゅ)の摘出、妊婦截腹(さいふく)術(帝王切開)、四肢切断術、骨髄炎腐骨摘出術など、当時としては困難な手術を成功させました。しかも驚くべきことに、これらの手術は麻酔なしで行なわれています。患者は激痛に耐えねばなりませんが、施術する医師にとっても相当な覚悟が求められたでしょう。
ちなみに麻酔といえば、文化元年(1804)に華岡青洲(はなおかせいしゅう)が、調合した麻酔薬による全身麻酔で、乳癌摘出に成功しています。しかし華岡の麻酔薬調合は門外不出とされたため、門弟以外は知り得ませんでした。麻酔が一般的に使われるようになるのは、アメリカのモールトンがエーテルによる全身麻酔を成功させた、弘化3年(1846)以後のことです(日本では安政2年〈1855〉)。
その後、泰然は嘉永6年(1853)に功績が認められて佐倉藩士に取り立てられ、町医者から藩医となりました。そして安政6年(1859)、家督を養子の佐藤尚中(たかなか)に譲り、隠居。明治5年(1872)、東京下谷で没しました。享年69。
更新:12月12日 00:05