2018年03月12日 公開
2019年02月27日 更新
明治40年(1907)3月12日、松本良順が亡くなりました。徳川将軍家の御典医、明治後は陸軍の軍医総監となった人物です。
父親は順天堂を開いた佐藤泰然で、佐藤順之助と名乗っていた良順は、幕府医師の佐藤良甫の養子となります。その後、長崎に留学してオランダ軍医ポンペから最新の医学を学び、幕府奥医師となって将軍の側に仕えました。
二条城で徳川慶喜が心労から不眠に陥っていた時、見かねた良順が思い切ってアヘンを丸薬にして服用させると、慶喜は一昼夜目を覚まさず、周囲がおろおろする中、良順は「万一の時は俺が腹を切るさ」と剛腹なところを見せました。そして目覚めた慶喜は「これほど気分が良いのは久しぶりだ」と、良順を激賞したといいます。
良順は新選組の近藤勇や土方歳三とも気が合い、新選組の屯所に出かけて隊士を診察し、病室や浴室を設置することを勧めています。戊辰戦争では幕府陸軍軍医、奥羽越列藩同盟軍軍医を務め、会津などを転戦し、仙台で降伏しました。
維新後は陸軍軍医総監を務める他、牛乳の摂取や海水浴を奨励したことでも知られます。また明治の世に良順の良の字を外して、松本順と名乗ったのは、反骨心の表われであったともいわれます。
更新:11月24日 00:05