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高崎正風~8.18の政変を主導し、武力倒幕に反対した薩摩藩士の生涯

2018年02月27日 公開
2022年07月05日 更新

2月28日 This Day in History

高崎正風
 

薩摩藩士で歌人の高崎正風が没

今日は何の日 明治45年2月28日

明治45年(1912)2月28日、高崎正風が没しました。薩摩藩士で維新後は歌人として有名になりますが、幕末当時は左太郎と称して、会津と結んで8月18日の政変を起こした立役者として知られます。

高崎正風は天保7年(1836)、鹿児島の川上村(現在の鹿児島市川上町)で薩摩藩士・高崎五郎右衛門の長男に生まれました。通称は左太郎、左京。

藩の船奉行を務めていた父・五郎右衛門は嘉永2年(1850)、薩摩藩の世子・島津斉彬の藩主就任を画策し、それに反対する家老・島津久徳らお由羅派(お由羅は藩主・島津斉興の側室で、自分が生んだ島津久光を藩主にするために、斉彬の廃嫡を策したといわれる)の暗殺を謀議したかどで捕えられます。そして五郎右衛門は即日、切腹させられました。彼らが実際に謀議をしたのかどうかは不明ですが、斉彬派と目された人々は切腹・蟄居・遠島などに処されます。このお由羅騒動が、別名「高崎崩れ」と呼ばれるのは、それだけ五郎右衛門の切腹が象徴的と見なされたからでしょう。

事件当時、正風は15歳の少年でしたが、成人するのを待って翌年、奄美大島に流刑となっています。また、大久保一蔵(利通)の父・利世が鬼界ヶ島に流されたのも、お由羅騒動に巻き込まれたためでした。

嘉永5年(1852)、赦免された正風は、幕末の京都で働くことになります。文久3年(1863)、島津斉彬の弟で、藩主・島津忠義の父である島津久光は、京都の政界を牛耳る長州藩を中心とする尊王攘夷激派の排除を目論見ました。 そして、久光の意を受けて動いたのが正風でした。正風はまず京都守護職会津藩公用方の秋月悌次郎を訪ね、長州藩追い落としを提案します。天皇の名を騙る偽勅が度々発せられることに業を煮やしていた会津藩は、薩摩藩と手を組むことを決断しました。

続いて正風は、秋月とともに8月15日、孝明天皇の弟宮で、朝議を思いのまま操る尊攘激派に憂慮する中川宮朝彦親王を訪ね、長州藩とそれにつながる過激派公卿の追い落としの孝明天皇への説得を依頼します。翌16日、中川宮は参内して孝明天皇の説得に努め、天皇の密命が下ったのは、17日のことでした。会津藩は直ちに1500人の藩士を御所へと動員、配下の壬生浪士組も出動します。また薩摩藩から150人、さらに京都所司代、徳島藩、岡山藩、鳥取藩、米沢藩も人数を出しました。

そして8月18日午前1時頃、中川宮、京都守護職松平容保、前関白近衛忠熙らが参内。午前4時頃には御所の9門の守備が完了し、その上で、三条実美をはじめとする過激派の公家の禁足と他人への面会禁止、長州藩は堺町御門の警備役を罷免、京都を追われることが決定します。

まったく不意をつかれたかたちの長州藩はなすすべもなく、藩兵を御所に繰り出して堺町御門付近で守備兵と睨み合いますが、やがて三条ら7人の公家とともに長州へと落ちて行きました。ここに長州藩は失脚、正風らが仕掛けたクーデターは成功したのです。これが8月18日の政変と呼ばれるものです。

正風はこの功績により、薩摩藩の京都留守居役に任命されました。ところがやがて薩摩藩の方針が公武合体から反幕、さらに倒幕へと変化していく中で、正風の立場も微妙になっていきます。そして慶応3年(1867)、西郷吉之助らが中心となって藩論を武力倒幕にまとめると、正風はこれに反対。その結果、正風は倒幕派と対立することになり、西郷らが戊辰戦争へと突き進む中、藩の中心から外れていくことになりました。

維新後、正風は明治4年(1871)に新政府に出仕、岩倉使節団の一員となって欧州を歴訪します。帰国後、明治8年(1875)に宮中の侍従番長、翌年、宮中の御歌掛に就任。明治21年(1888)には御歌所初代所長に任命されました。また明治10年(1877)に明治天皇の御製の点者を命ぜられ、御製10万首、昭憲皇太后の作歌4万首を点じ、自らも数万首を詠んだといわれます。

明治45年(1912)、没。享年77。 維新後は平穏な日々のようにも見えますが、主流から外れたため必ずしも官歴は華やかではありません。幕末の政変の立役者は、どんな思いで明治を生きたのでしょうか。

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