2018年02月22日 公開
2019年01月24日 更新
元治2年2月23日(1865年3月20日)、新選組の山南敬助が没しました。局長の近藤勇、副長の土方歳三に次ぐ新選組総長として、幕末京都で活躍しましたが、やがて決別、最後は切腹となります。大河ドラマ「新選組!」では、堺雅人さん演じる山南が印象的でした。
仙台藩出身でもともと小野派一刀流(北辰一刀流も学んでいた)の剣士だった山南は、試衛館道場の道場主・近藤勇と試合して敗れ、近藤の人柄に惚れこんで天然理心流の門人となっています。その後、天然理心流の地盤である多摩地方に、近藤や沖田総司らと交代で出張稽古に出向いているところを見ても、道場の食客ではなく天然理心流の剣士として扱われたようです。
京で新選組が結成されると、山南は土方歳三とともに副長を務め、後に近藤の参謀役的な総長の座につきました。山南は文武兼備であったといわれ、また温厚な人柄で京都の人々からも好かれたようです。ちなみに山南の読み方は「やまなみ」が一般的ですが、三南という当て字も見られることから、「さんなん」が正しいという説もあります。
その後、新選組が壬生から勤王方のシンパである西本願寺に屯所を移す際、これに反対し、ほどなく「江戸に行く」と書置きして脱走します。病身の沖田が後を追うと、大津で見つかり、屯所に戻りました。
新選組の脱走は切腹です。試衛館以来の仲間が再度脱走するよう密かに勧めたようですが、山南は新選組幹部として示しがつかないとして、潔く切腹したといいます。享年33。介錯は山南の希望により沖田総司がつとめました。近藤勇はその最後を、「浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てまい」と賞賛したと伝わります。
脱走の理由として、小説などでは土方との反目などが描かれますが、一番の理由は本来、尊王攘夷を目的とする新選組があくまで幕府を支える前提であるため、同じ尊王攘夷の志を持つ勤王方と敵対することに悩んだ末であったのではないでしょうか。
更新:11月24日 00:05