2018年02月15日 公開
2019年01月24日 更新
文治6年2月16日(1190年3月23日)、西行法師が亡くなりました。俗名、佐藤義清(のりきよ)。鳥羽院の北面の武士を務め、和歌にも長じていましたが、保延6年(1140)、23歳の若さで出家しました。
佐藤義清が出家した理由は失恋ともいわれ、相手は高貴な身分の女房、一説に鳥羽院の中宮・待賢門印璋子であったともいわれます。かつてNHK大河ドラマ「平清盛」では、この説にのっとり、藤木直人さん演じる義清の悲恋が描かれていました。
その後の西行は心のおもむくままに漂泊の旅を重ね、多くの歌を詠みました。奥州へも2度赴き、その途中、鎌倉で源頼朝にも面会しています。頼朝はかつての北面の武士・佐藤義清として、弓馬の道を尋ねますが、西行は「忘れ果てた」と答えたといわれます。また、頼朝から拝領した純銀の猫を、通りすがりの子どもに与えてしまったという逸話も伝わっています。
いくつか西行の歌をあげてみましょう。
吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき
なにごとも変はりのみゆく世の中におなじかげにてすめる月かな
面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて
その後、西行は河内国弘川寺に庵を結び、文治6年2月16日、この地で生涯を終えました。享年73。かつて自分が詠んだ歌の通りに、花の下で世を去った西行でした。
ねがわくば花のしたにて春しなんそのきさらぎのもちつきのころ
更新:11月21日 00:05