2018年02月15日 公開
2019年01月24日 更新
一遍上人像(神奈川県横須賀市・能永寺)
延応元年2月15日(1239年3月21日)、一遍上人が生まれました。踊り念仏で知られる時宗の開祖、鎌倉時代の僧です。
伊予(愛媛県)の有力豪族・河野氏の一族に生まれた一遍は10歳で出家、13歳の時に太宰府に赴いて法然の孫弟子・聖達の下で浄土宗を学びました。25歳の時に父が死に、いったん還俗するものの、32歳で再び出家。伊予の岩屋寺をはじめ、信濃の善光寺、高野山など各地をめぐりながら修行を続け、南無阿弥陀仏の名号を記した札を配ります(御賦算)。
ところが紀伊国である僧から不信心を理由に札の受け取りを拒否され、大いに悩んだ一遍は熊野本宮に参籠、そこで「信不信をえらばず、浄不浄をきらわず、札を配るべし」というお告げを得て、一遍と名乗るようになったといいます。
その後も各地を歩き、弘安2年(1279)に信州佐久で踊り念仏を始めました。踊り念仏は尊敬していた空也上人に倣ったものといわれます。そして念仏の教えを広めるために全国を歩き(遊行)、摂津の観音堂(現・真光寺)で亡くなりました。享年51。
旅ころも 木の根 かやの根いづくにか 身の捨られぬ処あるべき
世の人おもへらく、自力他力を分別してわが体をもたせて、われ他力にすがり往生すべしと、云々。この義しからず。自力他力は初門のことなり。自他の位を打ち捨てて唯一念仏になるを他力とはいふなり
更新:11月22日 00:05