歴史街道 » 編集部コラム » 徳川綱吉~学問好きの犬公方様

徳川綱吉~学問好きの犬公方様

2018年01月09日 公開
2022年03月15日 更新

1月10日 This Day in History

徳川綱吉犬屋敷跡

徳川綱吉、犬屋敷跡(東京都中野区)
徳川綱吉の時代、現在の中野区役所近辺は広大な犬屋敷があった。
 

5代将軍・徳川綱吉が没

今日は何の日 宝永6年1月10日

宝永6年1月10日(1709年2月19日)、徳川綱吉が没しました。徳川5代将軍で学問好きながら、「犬公方」のあだ名でも知られます。 

綱吉は正保3年、3代将軍家光の4男として江戸城内に生まれました。幼名、徳松。母親の玉の方(桂昌院)は一説に、京都の西陣織屋の娘とも、八百屋の娘であったともいわれます。慶安4年(1651)、綱吉6歳の時に父・家光が没し、長兄の家綱が4代将軍となりました。次兄は甲府宰相となる綱重です。同年、綱吉は15万石を拝領し、家臣団をつけられました。 生前、父親の家光は綱吉について、「この子は衆に優れて利巧であるが、その才が禍ともなる。兄たちに礼を失して憎しみを受けてはいけない。謙遜を旨とするよう」と子育てにあたる人々に常々語ったといいます。

承応2年(1653)、8歳で元服。この時に綱吉の名に改め、従三位左近衛中将・右馬頭に叙任しました。松平右馬頭綱吉と、松平姓を名乗ったといわれます。寛文元年(1661)、16歳の時に上野国館林藩25万石の藩主となり、参議に叙任されたことで「館林宰相」と呼ばれ、徳川姓を名乗りました。また家老に牧野成貞を抜擢。綱吉は基本的に江戸住まいで、領地の館林に入ったのは、一度きりといわれます。綱吉は学問好きが昂じて祖先を崇拝すること並々ならず、命日の前夜ともなると仮眠すらとらずに、『孝経』を繰り返し暗誦しました。また母親にも孝養を尽くし、少しの暇があれば母の居所へ赴いて、一緒に食事をとることを楽しみにしたといいます。

延宝8年(1680)、兄の将軍家綱が没すると、5代将軍に就任。この時、大老の酒井忠清は家綱に実子がなかったため、京都から有栖川宮を将軍に迎えようと画策しますが、老中の堀田正俊が反対し、綱吉の5代将軍就任が決まりました。将軍に就任した綱吉は、大老の酒井忠清を罷免し、自分を後押ししてくれた堀田正俊を大老に据えます。また館林時代の家老・牧野成貞を、「側用人」という老中に近い格の役職を新設して任じました。 学問好きの綱吉は、幕臣たちに自ら四書や易経を講義し、また湯島聖堂を建立して儒学を振興します。その政治は徳を重んじる「文治政治」といわれ、堀田大老の補佐もよろしく、綱吉の治世の前半は仁政を目指した「天和の治」として、高く評価されるべきものでした。

ところが貞享元年(1684)、江戸城中で堀田正俊が若年寄の稲葉正休(まさやす)に刺殺されます。原因は私怨ともいわれますが、その場で稲葉も討たれたため、はっきりしません。この堀田の死を機に、綱吉は側用人の牧野を重用するとともに、仏教にのめり込みます。

貞享4年(1687)、魚鳥類食料禁止(鶏と亀も含む)が発せられました。以後も犬や猫、鳥、魚、虫に至るまで、殺生を禁ずるお触れが度々出され、それらを総称して「生類憐れみの令」と呼ばれます。跡継ぎのない綱吉を案じた母親の桂昌院が、帰依する僧・隆光の勧めでこれを出したといわれます。「天下の悪法」と呼ばれ、大迷惑した庶民から、綱吉は「犬公方」のあだ名を奉られました。しかし、最近は「生類憐れみの令」の見直しも行なわれており、このお触れが老人や病人にも適用されることから、老人・病人の遺棄などを禁じる意味もあったのではないかという見方もあるようです。

元禄元年(1688)には、家臣で学問の弟子でもあった柳沢吉保を側用人に抜擢。6年後には、吉保は老中格となります。綱吉の好学は大名、旗本にも及ぶことになり、室鳩巣、荻生徂徠、新井白石、山鹿素行ら優れた学者を輩出する素地となりました。

元禄14年(1701)、江戸城中で勅使接待役・浅野長矩が、高家・吉良義央に斬りつける事件が起こります。激怒した綱吉は、長矩は庭先で即日切腹という大名としての礼を認めない処断を下しました。翌年、赤穂浪士の討ち入りが行なわれ、さらに元禄16年(1703)、赤穂浪士らに切腹の命が下りますが、綱吉がこれらをどこまで知っていたのかは定かでありません。

嫡男の徳松が5歳で死去すると、宝永元年(1704)、綱吉は自分の後継者を甲府藩の徳川綱豊(家宣)に定めました。そして宝永6年(1709)1月10日、はしかに罹って没します。享年59。異説として、心を病んだ正室が綱吉と無理心中を図ったという話があり、その部屋は幕末まで、綱吉の亡霊が現われるとして、開かずの間になっていたといわれます。伝説だとしても、なぜそうした話が生まれたのか、興味深いところです。なお正室の墓石には長年、黒い網がかけられていたとも伝わります。

歴史街道 購入

2024年12月号

歴史街道 2024年12月号

発売日:2024年11月06日
価格(税込):840円

関連記事

編集部のおすすめ

元禄15年12月14日、赤穂浪士の討ち入り~芝居と史実はどう違うか

12月14日 This Day in History

徳川家重~はたして暗愚なだけの将軍だったのか?

歴史街道脇本陣