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空母・鳳翔~日本海軍航空隊の勃興から終焉までを見届けた艦

2017年12月27日 公開
2018年12月03日 更新

12月27日 This Day in History

海
 

日本初の航空母艦・鳳翔が横須賀海軍工廠で竣工

今日は何の日 大正11年12月27日

大正11年(1922)12月27日、日本初の航空母艦鳳翔(ほうしょう)が横須賀海軍工廠で竣工しました。世界で初めて、最初から空母として設計されて、竣工した艦として知られます。最初から空母として設計された艦としては、イギリスのハーミズの方が鳳翔よりも1年早く着工されていましたが、慎重に工事を行なっていたこともあり、鳳翔に世界初の座を奪われたとされます。

世界初の本格的空母は、イギリスが軽巡洋艦を改装したフューリアスでした(就役1917年)。同艦は第一次世界大戦に参戦しています。 また、飛行甲板に構造物を設けない全通型の空母としては、イギリスが客船を改装したアーガスが最初です(就役1918年)。 さらにアイランド型の上部構造物を設けた空母としては、イギリスが戦艦を改装したイーグルが最初でした(就役1924年)。 一方、アメリカ初の空母は、給炭艦を改装したラングレーです(就役1922年)。このあたりから、日米英の空母開発の競争が始まることになりました。

とはいえ、当時の日本の航空技術は米英に比べて大きく後れをとっており、初の空母建造においても、多くの困難が伴いました。たとえば空母デッキの建造技術などでは、イギリスより派遣されたセンピル軍事技術団の指導を受けています。またイギリス空軍の退役将校フレデリック・ラトランドを招き、空母への着艦技術を日本人パイロットに習得させるよう努めました。

鳳翔竣工の翌年である大正12年(1923)2月、初めて日本空母への着艦に成功したのがイギリスのジョルダン元大尉です。乗機は制式採用されたばかりの一〇式艦上戦闘機。その翌月の3月16日、鳳翔航空長の吉良俊一大尉が、同じく一〇式艦戦で鳳翔からの発着艦に成功。空母に着艦した最初の日本人となりました。翌大正13年(1924)、山本五十六が霞ケ浦航空隊の副長に就任。搭乗員の育成に力を入れることになります。日本海軍航空隊の草創期といっていいでしょう。

その後、空母鳳翔は第一次上海事変、日中戦争で出撃。太平洋戦争においては、ミッドウェー海戦に参加しますが、交戦の機会がなく、無事に帰還しています。そしてそれからは訓練用空母として日本近海で運用されたため、全くの無傷で終戦を迎えることになりました。ある意味、強運の艦といえるのかもしれません。戦後は飛行甲板を撤去して復員輸送船として活用され、昭和22年(1947)に解体されて生涯を終えました。日本海軍航空隊の勃興から終焉までを見届けた空母でした。

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