2017年11月10日 公開
2023年10月04日 更新
司会 地方にある土佐藩から海外に目を向ける人物が生まれたのは、なぜだったと思われますか?
林 長州藩や薩摩藩は、密貿易で外国との交流があったからでしょう。土佐藩はどうなのでしょうか?
尾崎 密貿易はしていなかったと思います。大きかったのは、ジョン万次郎の存在でしょう。
外国から帰国した日本人は他にも大勢いたのですが、ジョン万次郎だけが、アメリカの自由民主主義と通商国家としてのあり方を明確に理解していました。それが、後の船中八策にも受け継がれたのではないでしょうか。
林 ジョン万次郎は、島津斉彬にも会って、大きな影響を与えています。NHK大河ドラマの主人公にできる人物ではないでしょうか。
尾崎 そういう運動をやっているところです。ダイナミックな人生ですからね。
ジョン万次郎がアメリカで見聞したことは、河田小龍が『漂巽紀略』という本に詳細に記録しています。来年4月にリニューアルオープンする予定のジョン万次郎資料館(土佐清水市)では、『漂巽紀略』にどういうことが書かれているのか、わかりやすく展示する予定です。先生も、ぜひいらしてください。
司会 今、地方創生と盛んにいわれていますが、日本を変える力は地方から生まれるような気がします。
尾崎 幕藩体制が機能しなくなった時に、薩長土肥という代替案があったのは、日本に多様性があるからです。多様性を保つためには、地方が強くなければならない。地方が強くあってこそ、強靭な日本でいられるのだと思います。
そのためには、「地方から中央へ」という人の流れを、なんとか「中央から地方へ」に変えなくてはならない。東京23区の私立大学の定員を制限することになりましたが、それで解決する問題ではありません。私たちがほしいのは、人材です。優秀な人材が1人いれば、地方は変わりますから。
林 薩長土肥の知事の写真を拝見すると、みんなお若いんです。びっくりしました。
尾崎 鹿児島県の三田園訓さんが59歳、佐賀県の山口祥義さんが52歳、私が50歳、山口県の村岡嗣政さんが44歳です。
ちなみに、村岡さんは高知県庁で財政課長をされていたことがあるんですよ。4カ月間は、私の直属の部下でした。
林 こんな志のある若い知事がいれば、何だってできるような気がしますね。
《写真撮影:永井 浩》
更新:11月23日 00:05