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愛する家族のため、大敵に挑んだ「硫黄島のサムライたち」

2016年07月06日 公開
2023年03月09日 更新

『歴史街道』編集部


 

あの映画から10年の今こそ

 「硫黄島」「栗林忠道」という言葉を聞いて、皆さまがまず思い浮かべるのは、2006年に公開された映画「硫黄島からの手紙」ではないでしょうか。私自身も、あの映画で硫黄島の戦いに関心を抱きましたし、そうした方は多かったのではないかと思います。

 あの映画以降は、硫黄島の戦いに関しては盛んに語られることは少なかったかもしれません。一方、現地では40年前から今に至るまで、日米合同の慰霊式典が執り行なわれていますし、将兵の遺骨収集作業は絶えず続けられています。安倍晋三首相は、3年前の平成25年(2013)に硫黄島を訪ね、昨年のアメリカ議会での演説でも戦いについて触れています。

 硫黄島は決して「ブーム」で終わらせず、折に触れて振り返るべき――。今回、特集を企画したのは、あの戦いから、当時の日本軍将兵の想いの源泉をうかがい知れると感じたからです。それは、特集のサブタイトルでもある「愛する『家族』を守るために」というものです。
 

国、東京、そして家族のために

 今回、印象的だったのが、昭和20年(1945)2月のアメリカ軍上陸直前まで、硫黄島を守備していた西進次郎氏のお話でした。西氏は硫黄島への赴任を命じられると、姉夫婦のもとを訪ね、また郷里の母からの「千人針」を受け取り、出撃への決意を新たにしたといいます。

 西氏自身、「お国のために」という覚悟と決意を抱いていたといいます。しかし、その想いをさらに突き詰めると、「内地の家族を守るために、この身を賭けて戦う」という極めて純粋な気持ちだったのです。これは、現代を生きる私たちにとっても共感できるものではないでしょうか。

 そして、それは西氏に限らず、指揮官の栗林忠道中将以下、硫黄島の将兵全員が抱えていた想いでしょう。栗林中将は、硫黄島から内地の家族へ何枚もの手紙を認〈したた〉めています。その胸にはいつも、妻や子供たちの存在があったのです。

 アメリカが、硫黄島という小笠原諸島の小さな島を攻め落とそうと考えたのは、ここを拠点のひとつに東京を空襲するためです。硫黄島の将兵は、誰もがそのことをよく分かっていました。だからこそ、勝つ見込みがないとしても、1日でもアメリカ軍を足止めすることで、日本を、東京を、故郷を、そして家族を守ろうとしたのです。

 そんな将兵たちの想いと戦いぶりを伝えるべく、今特集では栗林忠道と、オリンピック金メダリストとしても知られる「バロン西」こと西竹一、そして海軍を率いた市丸利之助を中心に硫黄島の戦いを描いています。

 栗林と市丸に関しては、ご遺族にも特別インタビューでご登場いただいており、家族の目から見た姿や、今、胸に去来する想いをお話しいただいています。

 それ以外にも、現在、現地の小笠原諸島で硫黄島の戦いはどう語り継がれているか。また、当時、硫黄島に住んでいた住民たちの想いとは…。様々な視点からあの戦いを振り返った内容となっています。

 「硫黄島の戦いは、実に様々なことを教えてくれる」。総論でご論考いただいたノンフィクション作家・梯久美子先生とお話しているなかで出てきた言葉です。一人でも多くの方に手に取っていただき、何がしかを感じ取っていただければ幸いです。

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