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“痛快無比の英雄”・楠木正成の魅力

2012年09月21日 公開
2022年11月30日 更新

童門冬二(作家)

自らの夢を貫く「熱い志」

一方、当時は京都の朝廷と鎌倉の北条政権とで権力が分立しており、さらに各地に荘園などが乱立して、土地を巡る権利支配の関係は錯綜を極めていました。正成のような立場の者からすれば、これでは中間搾取が多く、たまったものではありません。

また鎌倉幕府末期には、執権を務める北条氏を中心とした専制政治が強まり(得宗専制)、それまでの荘園や交通物流の利権が、幕府によって奪われ、脅かされていきます。

さらに幕府の微税権限も拡大されました。これらは自らの土地に「リトル・ユートピア」を建設した正成にとって、到底許せることではなかったでしょう。

そんな折、幕府政治のあり方に危機感を抱いた後醍醐天皇が倒幕の兵を挙げます。後醍醐天皇は「朕の新儀は未来の先例なり(私が新しく行なったことが、未来の先例となる)」と高らかに述べるような天皇でしたから、旧来の格式秩序などにとらわれず、広く社会の実力者層に倒幕への協力を訴えかけました。

もっとも後醍醐天皇は自らの武力を持っていないので、そうするしか方法がなかったともいえます。しかし、このような「民と直接結びつき、自らの手で政治を行なう」という後醍醐天皇の願いは、地域に根ざして生きてきた正成からすれば、中間搾取ばかりにやっきとなる幕府のような夾雑物を排除することを意味しました。

さらに後醍醐天皇が旧来の格式や秩序を超えて協力を呼びかけたことで、ある種の「自由な実力主義社会」への気運が巻き起こります。戦国期や明治維新期の自由闊達さにも通じるこの気連は、正成のような実力者の目には、極めて魅力的に映ったはずです。

自分が作り上げたような「リトル・ユートピア」を全国に広げよう ―― あるいはそんな理想を正成は胸に抱いたのかもしれません。

このような想いがあったからこそ、楠木正成は後醍醐天皇の倒幕挙兵に、自らの夢を託したのではないでしょうか。圧倒的に強大な権力に立ち向かうリスクを冒し、身銭を切ってまであれだけの見事な戦いを展開した裏には、そのような「熱い志」があったとしか考えられないのです。

そして楠木正成は、その自らの夢を貫き、最後まで理想を掲げ、天皇を裏切りませんでした。それは正成自身に、「人生意気に感じる」ところがあったからでしょう。イデオロギーや理屈などとは、まったく別次元の話だったはずです。

さらに正成に従う配下たちも最後の最後まで正成と行動を共にし、常に大敵に向かって怯みませんでした。湊川の戦いでは数十倍以上の足利軍を相手に、700騎が73騎に減るまで16度にも及ぶ壮烈な突撃を繰り返したといわれます。

「この人のためなら死んでもいい。やってやろうじゃないか」

正成も、そしてそれを取り巻く男たちも、そのような心意気を胸に滾らせていたように思われてなりません。一途さと情熱とパワーが凝縮された、強烈な「侠気」を感じさせるのです。

 

「湧くがごとき智謀」をなぜ発揮できたか

楠木正成の魅力は、そのような「熱さ」ばかりではありません。変幻自在の軍略の数々や、後醍醐天皇への的確な献策からは、彼の「先見性と合理性」が見て取れます。

物流を差配しているがゆえに情報通だったこともあるでしょうし、古来、渡来人たちが多く入植した河内の土地柄もあって、外からの知識に柔軟なところもあるのでしょう。

当時の知識階級である寺社勢力と親しく交流していたことも大きかったはずです。彼が「天才軍略家」の名をほしいままにする背景には、日常生活の中で、源 義経の戦例や、僧兵たちの戦い方から、蒙古や朝鮮の戦法まで、広く知りうる立場にいたことがあるかもしれません。

さらに正成は、自らの利益ではなく、理想のために行動する「無私」の姿勢を貫いたからこそ、「とらわれない心」でありのままの状況を正しく見極めることができたのではないでしょうか。

そしてそれゆえに、自らの想定が覆されても挫けることなく、その時その時の最善の道を追求し続ける「湧くがごとき智謀」を発揮できたのだと思われます。

このような情報収集力、分析力と、それに基づく確かな戦略構想力が、楠木正成の痛快さを一層際立たせるのです。

私は楠木正成に、太陽に向かって花を咲かせるひまわりのような、とことん「陽」の人物という印象を抱いています。ただ怖いだけだったり、表面的に繕ってばかりいるような人間に対して、誰が「この人のためなら」などという思いを抱くでしょうか。

明るくて圧倒的な先見性があり、侠気があって皆を引きつけてやまない ―― 正成は、そうした魅力をまとう人物だったはずです。

楠木正成は、まさに庶民の中から生まれ、庶民が愛し、語り継いできたヒーローでした。それこそ長屋の八つぁん熊さんのような人々が、正成の智略の痛快さに快哉を叫び、一途で気高い心に涙を流し、時には権力への不満を正成に仮託してきたのです。

そうした存在であり続けた正成の生き様には、「人間として大切にすべき誠実さ」が色濃く刻み込まれているともいえます。

とかく混迷を極め、先の見えない今の時代だからこそ、私たちは再び「楠木正成」を見直すべきではないでしょうか。

 

著者紹介

童門冬二(どうもん・ふゆじ)

作家

1927年東京生まれ。東京都職員時代から小説の執筆を始め、’60年に『暗い川が手を叩く』(大和出版)で芥川賞候補。東京都企画調整局長、政策室長等を経て、’79年に退職。以後、執筆活動に専念し、歴史小説を中心に多くの話題作を著す。近江商人関連の著作に、『近江商人魂』『小説中江藤樹』(以上、学陽書房)、『小説蒲生氏郷』(集英社文庫)、『近江商人のビジネス哲学』(サンライズ出版)などがある。

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