2023年11月27日 公開
写真:古梅園の採煙施設。植物性油を入れた土器皿に藺草(いぐさ)の芯で火を灯し、かぶせた土器の蓋の内側に付いた煤を採る。古梅園には100ほどの土器皿が並ぶ部屋が4室あるが、今ではこの古式で採煙するところはほとんどない
日本で生産が始まって以後、室町時代まで、墨の素材の煤には、松煙(しょうえん)が使われていた。松煙とは、松の幹を傷つけて松脂(まつやに)を出させたのち、幹ごとはぎ取って小片にし、それをくすべて得た煤のことである。
この煤を素材とした松煙墨は、墨の粒子の大小のばらつきが大きいといい、墨液が薄いと青味を帯びるなど幅広い表現力を持つが、一方でより深い黒味を示す墨を求める声も多かった。
10世紀から13世紀初め、中国の宋において、灯明から得た煤を墨に利用するための研究が進み、植物油の油煙(ゆえん)を素材とする油煙墨の製法が確立した。油煙墨は煤の粒子が細かく一定で、墨色はより黒く、高級墨と位置づけられて普及していくことになる。
日本においても室町時代の中頃、奈良興福寺の子院の一つであった二諦坊(にていぼう)で、持仏堂の天井にたまった灯明の煤を使って墨を作ることに成功。
興福寺は灯明に使う荏胡麻(えごま)油の利権を保持していたことから、多くの職人を雇って油煙墨の量産に取りかかった。ここから奈良の墨が優れた墨として格別の地位を得ていくのである。
興福寺のお膝元、奈良町に墨を製造販売する「古梅園(こばいえん)」がある。創業は天正5年(1577)といい、民間での墨製造の先駆といえる老舗中の老舗である。初代の松井道珍(どうちん)は、図書寮や二諦坊の製造資料なども踏まえて研究を重ね、良質な墨の製法を開発したという。
写真:練った墨を木型に型入れする作業。型入れする前には再度、墨を足で踏んで練り上げる。練るほどに墨の品質がよくなるという
古梅園を訪ねて、広報担当の袋亜紀さんからお話を聞いた。
「当社では油煙墨、松煙墨とも多彩な墨を生産販売していますが、特に『紅花墨(こうかぼく)』は、今ではその名称が一般の墨の代名詞に使われるほどよく知られた製品です」。
江戸時代中期、六世の松井元泰(げんたい)が幕府の許可のもと、長崎で清国の造墨家と交流して製法を究め、七世の元彙(げんい)が完成させた墨で、菜種油から採った自家製油煙を素材に使用しているという。
「江戸時代の学者、平賀源内も愛用して『おはなずみ』の別名を世に広めてくれました」と、袋さんが付け加える。
「墨の香や奈良の都の古梅園」──社のキャッチフレーズにも使用されているこの句は、夏目漱石が親友で俳句の師にもあたる正岡子規に送ったものである。現在に至るまで、多くの文人墨客に製品が重宝されて書画の作品を生んできた。袋さんに案内してもらった一室には、藁で綴られた大量の墨が部屋一杯にぶらさがっていた。
「この墨は作られてから40年ほど経ったものです。建物内にはもっと古いものも保存しています。墨は古くなると色に深みが出るといい、『古墨(こぼく)』と称して珍重されています。作った職人がその墨を使った作品を見ることがない。それが当たり前の世界なのです」
日常の筆記の場で見ることが少なくなった墨ではあるが、未来の文化創造のための眠れる遺産がここにあった。
写真:古梅園の工場の一角。古梅園では墨の製造期間の11月から4月まで、工場見学を兼ねた「にぎり墨体験」を受け付けている。参加者には町家建築見学が目的という人のほか、社内に設置されたトロッコを見たいという人も
更新:11月01日 00:05