特急「あじあ」号
当時、世界的にも珍しかった、窓が固定された完全空調の特急列車「あじあ」を完成させるなど、非常に高い技術力を誇っていた南満洲鉄道株式会社──通称「満鉄」。
具体的に、満鉄は何が優れていたのでしょうか。鉄道会社に長年勤め、今年1月にはPHP文芸文庫から満鉄を舞台にしたミステリ、『満鉄探偵 欧亜急行の殺人』を上梓した山本巧次氏が満鉄のすごさを読み解きます。
※本稿は、『歴史街道』2022年3月号から一部抜粋.編集したものです。
【山本巧次】昭和35年(1960)、和歌山県生まれ。中央大学法学部卒業。鉄道会社に長年勤務する。『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう』でデビュー。『阪堺電車177号の追憶』で第6回大阪ほんま本大賞受賞。著書に「開化鐵道探偵」「入舟長屋のおみわ」シリーズ、『軍艦探偵』『鷹の城』など。最新作に『満鉄探偵 欧亜急行の殺人』がある。
満鉄は、明治39年(1906)11月に設立された。資本金は2億円。当時の1円が現在の幾らになるかは、何を基準とするかでばらつきはあるものの、まあ1万円くらいとすると2兆円になる。
財務省資料によると、同年度の国の歳出が4億6千万円ほどであるから、ものすごい金額だ。そのうち半分の1億円が、政府出資であった。第三セクターの先祖と言えなくもない。本社は大連に置かれ、翌明治40年(1907)4月に営業を開始した。
まず最初にやらねばならなかったのは、線路の軌間(2本のレールの間隔)を変えることである。ロシアが作った鉄道であるため、引き継いだ路線はもともとロシア規格の1524ミリの広軌であった。日露戦争で日本が占領したところは、日本から軍用輸送の車両を持ち込まねばならなかったので、国鉄と同じ1067ミリの狭軌にされていた。
だが、中国や朝鮮半島の鉄道は1435ミリの標準軌を使用しており、日本国内でも輸送力増強のため標準軌化の議論が行なわれていた時代であったことから、満鉄も全線を標準軌に改築することになった。3年はかかると言われていた改築だが、満鉄はこれを1年でやってのけた。
この後、昭和10年(1935)、長い交渉の末に新京(長春)以北の北満鉄路がロシアから譲渡され、標準軌への変更が必要になったが、このときは新京〜哈爾浜間242キロの改築を、なんと3時間足らずで終えたという。事前に周到な準備あってのことだが、半端ない技術だ。
次は車両である。標準軌改築後、新たな車両が大量に必要となったが、当時の日本は機関車の国産化が緒に就いたばかり。標準軌用の大型機など、作ったこともない。そこで、路線の環境が似ているアメリカから輸入することになった。
その数、203両。最大のものは急行旅客用に使われたパシイ形で、動輪直径が1753ミリ、ボイラーの火床面積が4.61平方メートル、機関車運転重量89.9トン。少し後に国産化された国鉄8620形(アニメ『鬼滅の刃』で無限列車を牽いていた)が、それぞれ1600ミリ、1.63平方メートル、48.8トンであるのに比べると、かなりの大型である。
更新:11月22日 00:05