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意外と負けていた…織田信長の「敗北3パターン」

2020年09月30日 公開
2022年07月05日 更新

安部龍太郎(作家)

 

無理をさせたがための敗北

3つ目は、「家臣や味方勢力に無理をさせたがための敗北」だ。

それが⑤〜⑧の戦いで、いずれも織田家による勢力拡大、もしくはそれを抑え込もうとする相手によって引き起こされたものである。
これらは厳密にいうと、信長自身の敗北というより、信長の家臣や、織田家に味方する勢力が敗れたものだ。

毛利家には、第一次木津川口の海戦や上月城の戦いなどで敗れているが、これはいずれも家臣たちの敗北だ。

武田家に対しては、岩村城を落とされたり、同盟を結ぶ徳川家康が三方原で敗走させられたりしているが、いずれも信長が直接対決したものではない。

上杉謙信に対しては、重臣・柴田勝家率いる織田軍が手取川で敗れ、伊賀に対しては次男の信雄が敗れている。

もっとも、信長自身がそれらの戦場にいなかったとはいえ、責任がないわけではない。これらの敗北は、信長が天下統一を急ぐあまりに引き起こされたものといえるからだ。

 

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