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粟ぜんざい 神田 竹むら~池波正太郎の江戸を食べ歩く

2018年12月19日 公開
2019年06月18日 更新

山口恵以子(作家)

神田の「竹むら」の粟ぜんざい

池波正太郎は、酒の後でも食べるほど、甘いものが好きだったという。その想いは、作品にもよく表われており、CS放送ホームドラマチャンネルでも放送中の『鬼平犯科帳』『剣客商売』にも、甘いものが登場する。
そんな池波が、ふらりと寄っていた甘味処が神田の「竹むら」。
そこで「粟ぜんざい」を食べるのが定番だった――。

竹むら 栗ぜんざい
粟ぜんざい 写真:遠藤宏
 

甘味処で逢い引きを

池波正太郎は酒を呑んだが、甘いものも好きだった。

「酒後に粟ぜんざいを口にするのは、なかなかよい。酒後の甘味は躰に毒だというが、酒のみには、この甘味がたまらないのだ」(『散歩のとき何か食べたくなって』)

同年代の酒呑みの男性が甘味をバカにする傾向があったことを考えると、珍しいというか、柔軟な思考の持ち主だったと思う。

実は私も酒呑みだが、甘いものも大好きなのだ。

ここ「竹むら」は池波正太郎が愛した甘味処(池波さんは「汁粉屋」と書いている)の代表格だ。

「いつもお一人で午後にフラリといらっしゃって、奥の席で粟ぜんざいをお召し上がりでした。どこかでお昼を召し上がって、その後でいらしたんだと思います」

そう語るのは社長の堀田正昭さん。

ここ「竹むら」が店を構えるのは昔の地名で言うと神田連雀町。戦災を免れた一角には戦前から続く「かんだやぶそば」「ぼたん」「いせ源」「まつや」など名店が点在する。緑青を吹いた看板建築(建物前面を銅板などで仕上げ、装飾を施したもの)もあって、昔の東京にタイムスリップした気分も味わえる。

「そうした店々で酒をのめば、どうしても帰りに〔竹むら〕へ立ち寄りたくなる」(『むかしの味』)

粟ぜんざいを食べた後、揚げまんじゅうをお土産に買って帰るのが常だったという。

あれ? 確か夏は粟ぜんざいはやっていなかったはず……。

「夏は何を召し上がったんですか?」
「……そう言えば、粟ぜんざいのある季節しかお見えにならなかったですね」

突然ですが、質問です。江戸時代の鰻屋、蕎麦屋、汁粉屋に共通する「大きな声では言えないけど、実は」は何でしょう?

答えは「男女の密会場所だった」です。

「ええっ!? 鰻屋さんやお蕎麦屋さんはともかく、お汁粉屋さんは違うんじゃないの?」と思ったあなた、『鬼平犯科帳』の「お雪の乳房」を読んでご覧なさい。

「当時の〔しる粉屋〕というやつ、現代の〔同伴喫茶〕のようなもので、甘味一点張りと思いのほか、ところによっては男客のために酒もつけようという……」(同著)

池波さんによれば、戦前までの東京の甘味処には、かつてを彷彿させる独特の洗練が、店の造りや器物に残っていたという。だから喫茶店と大差なくなってしまった現代の甘味処は、きっと「汁粉屋失格」だったのだろう。

「神田・須田町の〔竹むら〕へ入ると、まさに、むかしの東京の汁粉屋そのもので、汁粉の味も、店の人たちの応対も、しっとりと落ちついている」(『むかしの味』)

それもそのはず、「竹むら」の店舗は昭和五年(1930)の創業当時の建物で、築88年のヴィンテージなのだ。昭和30年代のお店の写真を見せていただいたが、少しも変わっていない。

しかし、昔の建物を維持するには大変な苦労がある。

「例えば障子の桟が折れて修理しようとしても、建具屋さんにも同じ木材が残っていないんですよ」

似たような木材に塗料を塗ったり(映画で言う「汚しをかける」ですね)して、何とか雰囲気を保つようにしているという。
 

兄弟で店を切り盛り

正昭さんの父勇雄さんは明治38年(1905)生まれ。本郷の名店「藤むら」で修業した後、独立して「竹むら」を創業した。

「甘いものが大好きで、和菓子屋さんになれば毎日甘いものが食べられるからと、不純な動機で(笑)」

いいえ、それ以上に純粋な動機はありません。

「神田でお店を始めようと思ったのは、何か理由が?」
「実は私の母が『藪蕎麦』の娘なんです。それで、実家の近くで」

それだけでなく、正昭さんの叔母に当たる「藪蕎麦」の元女将は「ぼたん」の娘で、一歳違いの「ぼたん」のご主人も親戚にあたるという。

「そう言えば外神田の『花ぶさ』さんの向かいが練成中学で……」
「ええ。私もぼたんさんも練成中学です。まつやさんも藪さんも、この辺りの子供はみんな同窓なんです」

なるほど。それでご近所同士、仲が良いのか。

さて、次男に産まれた正昭さんだが、小学生の頃からお父さまに「ちょっと餡子練るの、手伝って」と言われ、仕事場に出入りしていたという。当時は遊びの延長だったが、いつしか正昭さんは父の後を継いで店の味を守ろうと決意する。まさに和菓子の英才教育。

「お兄さまには、英才教育はされなかったんですか?」

長男喜久雄さんは正昭さんより九歳年長で、少し前まで「竹むら」の社長を務められていた。

「兄は菓子作りには興味がなくて、就職も自動車メーカーの営業でしたし」

父は子供たちの適性を見抜いていたのだ。

しかし、そんな喜久雄さんも会社を辞め、「竹むら」の経営に携わるようになる。厨房では正昭さんが味を継承し、経理や銀行関係の折衝は喜久雄さんが担当した。兄弟は車の両輪のように、協力して「竹むら」を支えてきたのだ。

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