2018年02月20日 公開
2019年01月24日 更新
昭和41年(1966)2月20日、アメリカ海軍のチェスター・ニミッツ元帥が亡くなりました。第2次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊司令長官、及び中部太平洋のアメリカ陸海空軍の最高司令官として、日本軍と戦った人物です。
日本ではマッカーサーほど知名度はありませんが、日本の「比島決戦の歌」(比島はフィリピンのこと)では、「いざ来いニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へさか落とし」と歌われています。いわば日本の仇敵であったニミッツですが、そんな彼が生涯海軍軍人として敬愛したのが、東郷平八郎であったというのは皮肉というべきでしょうか。
ニミッツがまだ士官候補生時代の明治38年(1905)、東京湾に寄港していたところ、日本海海戦の戦勝祝賀会に招待され、祝賀会で他の候補生とともに東郷を胴上げし、その後、テーブルに招いて東郷と会話し、感銘を受けたと自伝に記しています。
太平洋戦争後、横須賀の戦艦三笠が荒廃し、進駐軍によってダンスホールにされていると聞いたニミッツは激怒、海兵隊を歩哨に立たせて三笠を荒らさないようにさせ、個人的な寄付と米海軍にも援助させて、三笠を復興させたのです。
その開艦式でアメリカ海軍の代表が持参したニミッツの肖像写真には、「東郷元帥の大いなる崇敬者にして、弟子のニミッツ」と書かれていました。ニミッツ没後、その名は米巨大空母の名に冠されています。
更新:11月21日 00:05