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平清盛〜閉塞社会を突き崩し、武士の世を導いた「ビジョンある破壊者」

2012年01月08日 公開
2022年06月02日 更新

童門冬二(作家)

あくまでも天皇家を支える

では、なぜ清盛は大胆にも独自の国家像を描き、目指すことができたのでしょうか。

その謎を解く鍵の1つは、清盛の出生の秘密にあるのではないかと、私は見ています。実は当時から、「清盛は白河上皇の御落胤(ごらくいん)ではないか」という噂がありました。清盛の父・忠盛は、白河上皇の寵妃の祇園女御(ぎおんのにょご)の妹を妻としているからです(異説あり)。

実際のところ、この出生の真実は分かりませんが、清盛自身も「俺は御落胤なのだ」と信じる部分は少なからずあったことでしょう。

また、「御落胤ゆえに、清盛は前代未聞ながら武士として太政大臣へと昇り詰めることができた」と見る向きもあります。しかし、それは違うと思います。公家の階級社会は、それほど甘くはありません。実際に御落胤だったとしても、忠盛の嫡男として育っている以上は、平家の人間として扱われますので、清盛はあくまで自分自身の実力で階級社会を昇り詰めていったと見るべきなのです。

しかしその一方で、「自分は天皇家に連なる」という余人にない自負は、清盛にもう1つの特性を与えたはずです。それはどのような政治状況にあっても、常に「天皇家を支える」というスタンスだったでしょう。

都で天皇家を巻き込んで起きた保元・平治の乱においでも、また後白河の院政時代にも、清盛が常に天皇方を支えていることを見ればそれは明白でしょう。他の公家貴族や源氏は、時々の情勢次第で上皇方につくなど打算的に動いていますが、清盛は天皇を支えることで終始一貫しているのです。

その姿勢は政権の形にも表われています。後に清盛は、平家追討を画策した後白河の院政をやむを得ず停止し、政治の実権を握ります。これによって清盛は歴史上、「悪人」のレッテルを貼られるのですが、しかしこの時も清盛は、高倉天皇を立てています。清盛はあくまで朝廷の内にあり、天皇家を支える姿勢を貫いているのです。後に源頼朝が朝廷の外に幕府を開き、政権を奪ったのとは対照的で、清盛は朝廷の中にあって、院や摂関家とともに天皇を支える体制を企図していました。こうした「ぶれない行動基準」があればこそ、先例や批判を恐れることなく、清盛は自由な発想で、新たな国家像を描くことができたのです。
 

武士の時代の幕開け

しかし、天皇家に連なるという自負や、ぶれない行動基準、そして大きなビジョンがあっても、まず実力が認められなければ、何もできるものではありません。

当時の武士は武力を練り実力を蓄えてはいましたが、その地位はまだまだ低く、平安貴族からすれば「番犬」程度の扱いでした。大きな身分の壁が立ちはだかっていたのです。

また、先例主義の平安貴族たちにすれば、日宋貿易のような新しい事業はもちろん、武士が政治に加わること自体、有り得べからざることだったのです。

その大きな壁を突き崩し、一気に頂点を極めたのが清盛でした。それができたのは、やはり平安貴族たちに兵乱を平定する実力を、まざまざと見せつけたことによるでしょう。都人を震撼させた保元・平治の乱を制し、宗教的権威に対しても敢然と立ち向かったことから、「やはり清盛がいなければ」と人々に思わせたのは想像に難くありません。

特に、当時は宗教勢力が大変強い力を持っていました。神輿を担ぐ延暦寺や興福寺の僧兵が都に乱入して、宗教の権威を振りかざして乱暴狼藉を働くことがまかり通っており、それには誰も逆らえなかったのです。

しかし清盛は、これを打ち破りました。それは単に、僧兵の横暴を取り締まるというものに留まりません。僧兵たちの言う神罰仏罰を否定してみせ、さらに武士の武力の前には、宗教的権威すらも退散せざるを得ないことを天下に示したのです。

その背景には、実力を備えた武士たちを必要とする時代の後押しもありました。それを体現した先駆けが、清盛だったのです。だからこそ平家が滅亡しても、源頼朝は清盛が築いた土台の上に鎌倉政権を築くことができたのです。

「武士の時代」の始まりは鎌倉政権の成立をもって語られることが多いですが、実際は違います。すでに武力という実力を背景に、政権を担った清盛によってもたらされたと見るべきなのです。

実際、清盛が築き上げた政権は、鎌倉幕府の前身とも言えるものでした。清盛の後継者の重盛(しげもり)は諸国の山賊・海賊追討宣旨(せんじ)を受けますが、これは鎌倉幕府における諸国の警察権を持った守護・地頭職の前身にあたります。これらの職の設置によって鎌倉幕府の実質的な成立と見なされていますから、清盛は武家政権の創始者に他なりません。明治維新まで700年余り続いた武家政権は、まさに清盛に始まったと言えるのです。

武士の実力を体現し、大いなるビジョンを示したことで、清盛はまぎれもなく行き詰まった貴族社会に風穴を開け、実力社会の時代へと導きました。それには、どこか時代の意志のようなものさえ感じられます。時代がこの男の登場を待っていたのではないでしょうか。

清盛が生きた閉塞の時代状況は、今の日本と重なる部分がとても多いように私には思えます。不況が長く続き、また昨年3月の東日本大震災のような未曾有の惨事が起きた今の日本は、社会不安がこれまでになく色濃くなっているように思われます。

この状況を打開するには、一人ひとりが強い意志を抱き、立ちはだかる障害を破壊するような気概を持たなければなりません。そして何より高い志を掲げ、未来に向けて大いなるビジョンを描くことが大切ではないでしょうか。強い信念を持って「壁」に立ち向かっていけば、いずれその理想に近づくことができると、私は信じています。

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