2017年08月09日 公開
2022年07月27日 更新
今や、スポーツ選手やビジネスパーソンなど、数多くの日本人が海外に出て、様々な分野で活躍しています。海外赴任が特別なことではない時代になりました。しかし、そうなったのは、ごく最近のこと。かつては、海外はまったくの別世界でした。今回のランキングのテーマは、そんな海外で活躍した日本史上の人物。強い意志や信念を持った人たちの名前が挙がりました!
1位、野口英世 26.1%
2位、杉原千畝 11.6%
3位、ジョン万次郎 8.4%
4位、山田長政 3.2%
5位、小野妹子、北里柴三郎 3.0%
7位、坂本龍馬、伊藤博文、新渡戸稲造 2.6%
10位、織田信長 2.3%
今月のお題は「世界で活躍した日本史上の人物といえば?」です。日本史上の2大スター、織田信長と坂本龍馬も10位以内にランクインしました。彼らが活躍した場所は日本国内ではあるものの、貿易などで外国と接点を持ったため、多くの票を獲得したようです。
野口英世
トップを飾ったのは野口英世でした。2位に入った杉原千畝の倍以上の票を獲得し、ダントツの1位となりました。
理由としては、「お札になったから」(50代、男性)というものも。毎日、肖像を見ていると、やはり印象が強くなるということでしょうか。
彼の海外での活動で最も有名なのは、当時、イギリス領だった現在のガーナで、黄熱病の研究をしたことでしょう。この病気に苦しむ人たちを救いたいという志を果たせぬまま、彼自身が感染し、亡くなってしまいました。「我が身を顧みない愛は素晴らしい」(40代、女性)などのコメントが届いています。
幼い頃、左手に大火傷を負い、その治療を受けたことで医師を目指すようになったことや、アメリカ留学中の英世の帰国を願って、母・シカがたどたどしい文字で、「はやくきてくたされ。いしよ(一生)のたのみて。ありまする。」という手紙を書いたことなど、感動的なエピソードが多く、子供向けの伝記で取り上げられる定番の人物でもあります。「小学生の時に読んだ本が忘れられない」(50代、女性)という方もいました。
医学者では、5位に北里柴三郎もランクインしました。「医学界においてとても進歩的な発見をした人だから」(20代、女性)などの理由をいただいています。
北里はドイツに留学して、「細菌学の祖」と称されるコッホに師事し、破傷風の治療法を開発しました。その後も、香港に派遣されてペスト菌を発見するなど、数々の業績を残しています。
二位の杉原千畝は、約6000人ものユダヤ人を、ナチスによる迫害から助けた人物です。
リトアニアのカウナス領事代理だった杉原は、ヨーロッパ各地から逃れてきたユダヤ人たちが出国できるよう、日本の外務省の指示に反して、独断でビザを発給し続けました。
リトアニア、カウナスにある杉原千畝記念館
「自分の立場が危険になることを承知で、目の前にいる人々を救った行為は、尊敬に値すると思う」(30代、女性)、「海外留学中に初めて杉原千畝さんの存在を知りました。日本人として誇りに思うし、自分も異国で頑張ろうと心に決めました」(30代、女性)、「あの厳しい状況下で、日本政府の判断に従わず、ユダヤ人が国外に出られるようにギリギリまでビザを出す判断をした胆力と熱い想い。昔の日本人の気骨と懐の深さを感じる。自分もそのようになりたい」(40代、男性)といったコメントをいただきました。
3位のジョン万次郎は、自らの意思で海を渡ったわけではありません。漁に出ていたところ、嵐に遭い、アメリカの捕鯨船に救助されたのです。
望まぬ海外生活は辛かったでしょうし、人種差別も受けたようです。しかし、めげずに、英語や西洋の航海術、造船術などを身につけました。
そして帰国後、日本人にそれらを教えます。その功績は大きいといえるでしょう。
「勇気と度胸があり、確固たる強い精神力がある男性だったと思う」(40代、女性)などのコメントが届きました。
ひと口に「世界で活躍した日本人」といっても様々なパターンがありますが、外国政府の高官になるケースは数少ないでしょう。4位の山田長政と、惜しくも11位となった阿倍仲麻呂は、そのレアな例です。
長政は江戸時代の初めに朱印船で現在のタイに渡り、アユタヤの日本人町の頭領になった後、王女と結婚して高位に就いたとされています。
仲麻呂は、奈良時代に遣唐使船で唐に渡り、科挙に合格して玄宗に仕えました。出世は果たしますが、帰国の願いは叶うことなく、唐で亡くなりました。
故郷を思って詠んだ歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」は百人一首にも選ばれており、よく知られていますね。
更新:12月13日 00:05