2011年06月30日 公開
2022年06月20日 更新
《 歴史街道 2011年8月号(7月6日発売)総力特集「加藤隼戦闘隊」より 》
今から10年前の平成13年(2001)、私が翻訳した『日本陸海軍のエース 一九三七~一九四五』の読者から、一通の葉書を頂きました。その文面に、私は思わず目を奪われました。差出人がかつて飛行第六十四戦隊第三中隊で整備班長を務めていた元少佐だったからです。
六十四戦隊は、"加藤隼(かとうはやぶさ)戦闘隊"の名で有名です。先の大戦中、名戦隊長・加藤建夫少佐のもと、一式戦闘機「隼」を駆り、昭和16年(1941)の開戦以来、マレー、ジャワ、ビルマ(現ミャンマー)で連合軍航空隊を圧倒し、陸軍航空隊で最精強を謳われました。その活躍は映画にも描かれ、国民に広く知られた栄光の部隊です。
父が陸軍航空隊に所属していたこともあり、私は以前から六十四戦隊に関心を抱いていました。さっそく葉書の主・新美(にいみ)市郎氏にお目にかかると、同隊のエース・安田義人元准尉、池沢十四三(としみ)元軍曹、池田昌弘元軍曹をご紹介頂き、その後八人の元隊員の方にインタビューすることができました。
私は、彼らの証言と日米英の資料を突き合わせて、六十四戦隊の足跡を明らかにすることを思い立ちました。その成果が、拙著『ビルマ航空戦』です。もっとも執筆に先だって、私は一つの危惧を抱いていました。撃墜数など航空隊の戦果は、どの国でも過大になりがちです。そのため実証作業は、"加藤隼戦闘隊の栄光"という名の巨大な木を、細く細く削ぎ落とすことになりかねないのではないかと恐れたのです。ところが調べていくうちに見えてきたのは、意外な事実でした。六十四戦隊が記録する戦果はさほど過大でないうえ、その戦いぶりはまさに、"栄光の部隊″と呼ぶに相応(ふさわ)しいものだったからです。
残念ながら、今や私がお会いした元隊員の方々の多くは、戦友のもとに旅立たれてしまいました。彼らの奮闘に敬意を払いつつ、私なりにつかんだ"加藤隼戦闘隊"の実像についてお話ししましょう。
六十四戦隊を語るうえで欠かすことができないのは、やはり開戦時に戦隊長を務めた加藤建夫です。昭和16年4月、加藤は六十四戦隊の第4代戦隊長に就任しました。彼の指揮官としての在り方を端的に示すのが、開戦前に部下に与えた3つの訓示でしょう。すなわち、「どんな困難にあっても平常心を保つこと」「団結を乱さずに組織戦を重視すること」「任務遂行(すいこう)を第一とすること」。
つまり彼の信条は、戦隊が一丸となって任務を完遂することにありました。加藤の任務に対する責任感は誰よりも強く、たとえば部下が敵機を撃墜しても、それが作戦の本分を外れた戦いであれば、厳しく叱責(しっせき)します。
また加藤は、部下の戦果報告には厳格な態度で臨みました。大抵の上官は部下の申告に対し、多少過大であると感じても、士気低下を避けるために戦果を削ることはしません。しかし彼は、あえてそれをやりました。加藤にすれば過大な戦果を事実と認定することで、軍が戦況を見誤ることを防いだのでしょう。さらに敵機の撃墜は個人の成果ではなく、戦隊の功績であると捉えることを全員に徹底させ、個人戦闘ではなく、合理的な無線を活用した編隊戦闘を重視しました。戦隊一丸で戦うという加藤の方針を部下たちは納得し、結束していきますが、それを後押ししたのは任務に対する加藤自身の真撃な姿勢であったでしょう。新美市郎氏はこう語っています。
「(加藤は)困難は自分で引き受ける。今でも忘れないのは、船団掩護(えんご)にしても何にしても、危ない仕事だなあって、他の戦隊が尻込みするようなことでも、私がやりますって、どんどん意見具申をして、戦った」
船団掩護でよく知られるのが、開戦前日の12月7日、コタバル上陸を期す山下船団を悪天候下、日没まで務めたものです。困難な任務だからこそ、率先垂範するのが加藤という男でした。そんな戦隊長の姿に、部下たちは否応なく奮い立ったに違いありません。また、加藤は決して厳しいだけの男ではありませんでした。普段は気さくでとても部下思いであり、隊員たちは加藤を敬慕してやまなかったのです。新美氏はこうも述べています。
「人生観で加藤さんの影響を受けたことは多いね。あの積極性というか。20何年間、会社勤めをしたけど、ずっと加藤さんの教え通りにやったように思うねえ」
「必ず任務を果たす」という真撃な姿勢と、部下を慮る心。この2つにより、加藤は六十四戦隊を最精強部隊に育て上げたのです。
梅本弘(うめもと ひろし)
1958年、茨城県生まれ。武蔵野美術大学工業デザイン科卒。1980年代より軍事関係の書籍の翻訳・編集を手がけ、1989年に第二次世界大戦中の第一次ソ芬戦争を扱ったノンフィクション『雪中の奇跡』で作家デビュー。『ビルマ航空戦』『陸軍戦闘隊撃墜戦記』『第二次大戦の隼のエース』などのノンフィクションにおける記述内容は、日本軍の戦果報告や証言と連合国の公式記録とを付き合わせたうえでの詳述で評価が高い。
更新:11月21日 00:05