建国から今日に至るまで、日本はもちろん、世界に多大な影響を与えてきたアメリカ。2025年1月には、トランプ大統領が誕生しますが、歴代の大統領をよく知らないという人も多いのではないでしょうか。
そこで、近現代史を読み解く際の鍵となるアメリカ大統領について、8回に分けて紹介しましょう。4回目となる今回は、近代日本に大きな影響を与えた第26代大統領セオドア・ルーズヴェルトを取り上げます。
南北戦争後、1869年、大陸横断鉄道が開通し、西部の開拓と国内市場の整備とともに、資本主義工業化が急速に進みました。
南北戦争の後遺症に苦しみながらも、政治・経済の社会構造が新たに再編され、アメリカは1890年代に、イギリスを追い抜いて、世界一の工業国となります。そして、いよいよ新たなマーケットの開拓を求め、海外進出します。
こうした状況の中、登場した大統領がセオドア・ルーズヴェルトです。元々、一族はオランダ人移民の富裕な貿易商でした。
セオドアは若くして、ニューヨーク州議会議員となり、熱心な共和党員として活動していました。親友の下院議員ヘンリー・C・ロッジが時の大統領、マッキンリーにセオドアを引き合わせました。マッキンリーはセオドアの能力を見抜き、1897年、海軍次官補に抜擢します。
マッキンリーは、アメリカの海外進出は避けられないと見ており、進出のために海軍の組織刷新をせねばならず、セオドアのような若く優秀な人材を求めていました。
アメリカは1898年、米西戦争で、スペインが支配していた領域を獲得し、カリブ海などの中南米諸国、フィリピン、グアムなど、太平洋地域にまで進出しました。セオドアはこの間、自ら義勇兵を率いてキューバに侵攻しています。
キューバ侵攻で名声を得たセオドアは、1900年、マッキンリー政権の副大統領となります。1901年、マッキンリーが無政府主義者に暗殺され、副大統領のセオドアが大統領に昇格します。
セオドアは「棍棒外交」と呼ばれるカリブ海やラテン・アメリカの地域への強圧的支配を進めました。「棍棒外交」とは「棍棒をたずさえ、おだやかに話せ」とセオドアが言ったことに由来します。
コロンビア領だったパナマの独立を支援し、独立したパナマ共和国からパナマ運河地帯の租借権を得て、1904年、パナマ運河の建設に着手します。こうしてアメリカは、世界進出を着々と進めていきます。
セオドアの帝国主義的政策は、民主党から「世界的に危険な罪悪」と激しく批判されましたが、セオドアは「我が国は膨張とともに世界に飛躍すべき」と主張して譲らず、国民からも支持されました。
一方でセオドアは、大資本の市場独占を抑えるために制定されたシャーマン反トラスト法を、積極的に適用し、市場の自由開放を進めます。一部の大企業だけが儲けを独占する市場ではなく、均衡ある発展を目指そうとしました。
また、セオドアは日露戦争後の1905年、ポーツマス条約で両国の仲介役を買って出ます。セオドアは終始、日本の肩を持ち、ロシアを牽制しました。アメリカにとって、太平洋地域における真の脅威は日本ではなく、大国ロシアでした。ポーツマス会議で、日本とアメリカは接近し、相互協力関係を結びました。
【宇山卓栄(うやま・たくえい)】
著述家。昭和50年(1975)、大阪府生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、現在に至る。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説している。著書に『「民族」で読み解く世界史』『「宗教」で読み解く世界史』などがある。