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蘆名盛氏が築城した「日本最大級の山城・向羽黒山城」の魅力

《PR》歴史街道編集部

向羽黒山城跡
↑向羽黒山城跡

福島県の会津美里町に、驚くべき巨大山城跡が存在する。向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)である。その城は、日本屈指の規模を誇り、城跡では目を見張る数々の遺構を目にすることができるのだ。

それなら、体感するしかない! 実際に現地をたずねた編集部が、城の歴史と現在の様子をご案内しよう。

 

蘆名氏と向羽黒山城

向羽黒山城跡想像図
↑向羽黒山城跡想像図

これは、予想していたのとちょっと違う。でも、これはこれで、とてもいい──。

福島県の会津美里町にある向羽黒山城が、日本最大級の山城だと聞いて現地をたずねると、いい意味で予想を裏切られたのだった。

そもそも、現地に向かう前は、巨大な山城とあって、かなりの距離を歩くことになるだろうと、ある程度の覚悟を固めていた。

ところが向羽黒山城跡は、珍しいことに、一帯が公園として整備され、主要部分をめぐるように、舗装された道が通っているのだ。しかも、要所ごとに駐車場とお手洗いもあって、車で移動しつつ、それらを起点として歩くことができる。

その一方で、駐車場から少し歩くと、いかにも山城らしい坂道に遭遇したり、城の遺構を目にすることができ、山城歩きの興をそがれることもない。つまりこの城跡は、巨大な山城でありながら、自分のペースにあわせて歩ける城なのだ。

では、向羽黒山城とはいかなる城なのか。それについて語る前に、まずはこの城を築いた武将について触れておきたい。

城を築いたのは、会津の戦国大名・蘆名盛氏(あしなもりうじ)である。生まれたのは大永元年(1521)で、甲斐の武田信玄と同年である。さらにいうと、蘆名氏は武田氏と同じように鎌倉幕府と縁が深く、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目された三浦氏の流れをくむ。

三浦義明の子・佐原義連が源頼朝から会津四郡をあたえられ、その子孫が蘆名氏を称し、400年にわたって会津を治めたのである。盛氏は蘆名氏の十六代にあたり、武田信玄や北条氏康と対等の盟約を結ぶなどして、蘆名氏の最盛期を築き上げた。

のちに、会津に入封した蒲生氏郷が90万石、上杉景勝が120万石なので、盛氏も相応の勢力を誇った大名だったと考えられる。

また、盛氏の手腕は他国にも響き渡ったようで、武田信玄が優れた将として「丹波の赤井、江北の浅井、会津の盛氏、三河の家康」と語っているほどだ。

このように、盛氏はまさに名将と呼ぶにふさわしい人物なのだが、そんな彼が向羽黒山城の築城に着手したのは、永禄4年(1561)のこと。

もともと盛氏は、黒川城を本拠としていた。黒川城は、現在の若松城付近にあったといわれる蘆名氏の本拠である。向羽黒山城は、その黒川城から南南西に約6キロメートルに位置し、8年もの時をかけて築かれた。

城の規模は、一曲輪の岩崎山を中心として東西1.4キロ、南北1.5キロにおよび、東京ドーム11個分に相当する。完成時の様子は、次のように記されている。

「堀や土塁の並びは幾重なるを知らず。門垣(柵)は櫛の歯を並べた如し(中略)谷々に建物を構え様々な人達が行き通うようになり、根小屋、宿町二千家に及ぶ...」

ようするに、堀や土塁を幾重にもめぐらせた堅固な城で、多くの人で栄えているというのだ。

ではなぜ、盛氏はこの城を築いたのだろうか。それは黒川城の防衛を強化するためで、2つの目的があったと考えられている。

ひとつは、会津の南の下野方面からくる敵の動きを、黒川城の手前で防ぐこと。もうひとつは、西の越後方面からくる敵を側面から攻撃し、黒川城への進軍を阻止することにあった。

ところが、天正8年(1580)に盛氏が60歳で没すると、蘆名氏の勢威は徐々に衰え、天正17年(1589)には伊達政宗が東から侵攻。それを迎え撃ったのは、佐竹氏から養子として入っていた蘆名義広だった。しかし、磨上原の戦いで敗れ、実家の佐竹氏のもとへと落ちのびることとなる。

なお、徳川家康のブレーンとして有名な天海は、母親が蘆名一族の出身で、この時、義広に付き従って常陸に向かい、のちに家康に仕えることとなったとされる。

ともあれ、蘆名氏は敗北し、会津は伊達政宗が治めるところとなった。政宗が会津を治めたのは1年ほどだが、向羽黒山城下で軍事訓練をした記録が残っている。豊臣秀吉による小田原攻めが始まる前のことであり、政宗は野望を胸に、訓練にあたったのだろうか。

だが小田原合戦後、政宗は転封となり、代わって蒲生氏郷が会津に入る。氏郷も、向羽黒山城を重視したようで、それまで会津にはなかった礎石を用いた改修を加えたという説もある。

そしてその次に領主となったのが、上杉景勝だ。秀吉から家康への牽制役として期待された景勝は、対徳川戦を意識して、向羽黒山城の防備を強化した。そして重臣の直江兼続とともに家康に立ち向かったのは、周知のとおりである。

しかし、関ケ原の決戦で西軍主力が敗れたため、上杉氏も米沢に転封。それによって、向羽黒山城は廃城となり、今に至るのである(蘆名氏以後の向羽黒山城の状況については諸説ある)。

 

城の見どころは

御城印
↑本郷インフォメーションセンターで販売している御城印

では、向羽黒山城跡の様子を案内しよう。

まず向羽黒山城をめぐる際は、本郷インフォメーションセンターに向かい、向羽黒山城跡のパンフレットを入手すると位置関係がわかってより歩きやすいだろう。

また、本郷インフォメーションセンターから東へ数分歩くと、向羽黒山城跡整備資料室・向羽黒ギャラリーがある。土日祝日の午前10時から14時まで開館しており、蘆名氏や向羽黒山城に関する展示が充実している。向羽黒山城の立体模型もあるので、こちらも見ておきたいところだ。

向羽黒ギャラリー
↑向羽黒ギャラリー

向羽黒山城
↑向羽黒山城の立体模型

さて今回、編集部は車で移動しながら、見どころを歩いた。

最初に向かったのは、伝盛氏屋敷だ。向羽黒ギャラリーを車で出発すると、徐々に山を登っているのがわかり、車に乗っていても、攻めるには容易ならざる山城であることが伝わってくる。

伝盛氏屋敷周辺の遺構
↑伝盛氏屋敷周辺の遺構

道なりに進むと左手に羽黒神社の案内板がある。その東南側の林道を徒歩で進んでいくと、やがて正面の左側に、開けた場所が見えてくる。そこが、伝盛氏屋敷である。

一帯には、空堀や土塁が残り、蘆名盛氏の屋敷があったと伝わっている。ここで、伊達氏や佐竹氏といった強豪を相手に、盛氏は戦略を練っていたのだろうか。

続いて、御茶屋場へと向かう。そこには盛氏が客人をもてなしたという御茶屋場跡があり、会津茶道の発祥の地ともされる。

御茶屋場跡
↑御茶屋場跡

御茶屋場周辺で特筆したいのは、何といってもその眺望だ。北東方面に目をやると、若松城や磐梯山を望むことができるのだ。

若松城と磐梯山方面
↑御茶屋場跡付近から若松城と磐梯山方面を望む

その景色を見ると、黒川城と向羽黒山城が連携するという盛氏の構想が、極めて優れたものに思えてくる。

伊達政宗に攻められた時も、黒川城に籠城して、向羽黒山城から伊達軍の背後を脅かせば、勝敗は変わっていたかもしれない......などと、様々な展開が思い浮かんでくる。

なお、若松城から向羽黒山城は、車でわずか30分ほどの距離なので、若松城に行くのなら、この向羽黒山城跡も一緒にたずねたいところだ。

次は、二曲輪に向かう。一曲輪の北側の駐車場に車をとめ、北側の尾根沿いを歩いていくと、南側に石積みの虎口、すなわち出入り口が見えてくる。いかにも、敵の侵入を防ぐべくつくられた場所だと感じられる。

二曲輪の虎口跡
↑二曲輪の虎口跡

来た道をもどり、舗装された道路にそって西南へ少し歩くと、南側に見事なまでの竪堀が見える。

竪堀とは、山城の斜面に垂直に掘られた堀で、上杉時代に設けられたものと考えられている。こうした竪堀があると、攻め手は、横に移動するのが難しくなるだろう。

さらに道なりに進むと、右手に細い道があり、その一帯が西上段曲輪群だ。少し道を下ると、土地が段々状に整備されていることがわかる。

また来た道をもどって、いよいよ一曲輪へと向かう。坂道を少しずつ進んでいくと、やがてこの城で一番高い場所へと至る。そこが一曲輪で、いまは少し木々が茂っているものの、眺望は良く、戦国時代には四方をすべて見渡せたに違いない。

一曲輪頂上
↑一曲輪頂上。大きな石は、羽黒修験の御神体ともされる

そしてその西側へと進んでいくと、V字型に鋭く掘られた堀切も姿を現わす。先ほどの竪堀も含め、極めて堅固な城だったことがうかがえ、思わず敵将気分となって、「この城だけは攻めたくはない」と思えてくる。

一曲輪にある竪堀
↑一曲輪にある竪堀

以上、城の遺構をかいつまんで紹介したが、それらを実際に見ると、向羽黒山城がいかに戦略的に優れ、そしていかに攻めにくい城かを、身をもって感じることができるだろう。

また、蘆名盛氏、伊達政宗、蒲生氏郷、そして上杉景勝と直江兼続......。錚々たる名将たちとゆかりがあることも思えば、より一層、充実した山城歩きとなるに違いない。

【向羽黒山城に関する情報は、こちらから!】
https://www.mukaihaguro-yabou.jp/

【国指定史跡「向羽黒山城跡」に関するお問い合わせや現地ガイドの申請先】
一般社団法人 会津美里町観光協会 TEL0242-54-4882(9:00~17:00)

 

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