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千姫が再建に尽くし、遺愛の品を残した常総市の「弘経寺」

2024年01月21日 公開

歴史街道編集部

千姫姿絵写真:千姫姿絵(弘経寺蔵〈茨城県常総市〉)

徳川家康を祖父にもち、数えにして僅か7歳で豊臣秀頼のもとに輿入れした千姫。大坂の陣後、彼女は江戸にもどるが、一人の武将との出会いを機に、人生を再び強く歩み始める。桑名市、姫路市、常総市、文京区、岡山市といったゆかりの地から、そのドラマチックな生涯をたどってみよう。今回は、常総市に向かった。

 

菩提寺にと願った弘経寺

弘経寺写真:弘経寺の内陣。千姫が尽力した再建当時のもので、「弘経寺」の扁額も千姫直筆と伝わる

寛永3年(1626)、千姫30歳のとき、夫・本多忠刻(ただとき)が没した。娘の勝姫(かつひめ)をつれて江戸にもどった千姫は、落飾して天樹院(てんじゅいん)と称することとなる。

父の秀忠は将軍として存命であり、弟の家光とも仲が良かったため、実家で肩身のせまい思いはしなかったであろう。

その後、勝姫が池田光政に嫁し、一人となった千姫がまず行なったことは、茨城県常総市にある弘経寺(ぐぎょうじ)の再興だった。

弘経寺は応永21年(1414)に創建された浄土宗の寺だ。正式名称は「浄土宗大本山増上寺別院寿亀山(じゅきざん)天樹院弘経寺」。寺格も高く、学僧たちの檀林(だんりん)、つまり学問所として多くの名僧を輩出していたが、戦国期に戦火で焼失の憂き目にあっていた。

この寺の十世了学上人(りょうがくしょにん)から浄土宗の戒を授けられていたのが、徳川家康、秀忠、家光で、その縁もあって千姫も帰依し、寺の荒廃を知って再建に尽力したのだ。

弘経寺は、関東鉄道・水海道(みつかいどう)駅から車で10分ほど。桜と彼岸花の名所としても知られている。

「千姫は弘経寺を菩提寺と決め、自分が亡くなったらここに墓を建ててほしいと遺言しました」

お話ししてくださるのは、弘経寺主管の金田大祐さんだ。寺は増上寺の別院という関係で、金田さんも増上寺から弘経寺をお守りに来ている。

「徳川将軍は増上寺に葬られますが、天樹院様のような徳川家の女性は、家康公の母堂である於大(おだい)の方の菩提寺・傳通院(でんつういん)に墓を建てます」

千姫は70歳という、当時としては長寿の年齢をもって江戸で身罷った。

その墓は、文京区の傳通院と京都の知恩院、そして弘経寺にある。知恩院は浄土宗の総本山である。千姫の遺言で弘経寺に墓を建立したいが、江戸から40キロメートルほどの距離で、おいそれと墓参はできない。そこで、傳通院には遺骸を、弘経寺には遺髪を、知恩院には爪を埋葬したとされていた。

ところが、驚くべき真実があった。

寺の学芸員・土井義行さんによると、「平成9年(1997)に墓所の調査をしたところ、遺骨が発見されたのです。ですから遺言通りに、天樹院様はここに埋葬されたことになります」とのこと。土井さんは、その調査を担当した考古学者である。

 

寺に残されたゆかりの品々

天樹院殿御廟写真:天樹院殿御廟。右手が侍女の墓石

なぜ、これほどまでに弘経寺に思い入れがあったのだろうか。金田さんが語る。

「おそらく、家康公、秀忠公、家光公が弘経寺の了学上人に帰依していたこと、それに天樹院様が浄土宗の教えを深く信仰し、自身が寺の再興に尽力したことが縁となっているのでしょう」

浄土宗は仏教の中で唯一、極楽浄土にいけば親しい人にまた会えるという教えがある。

境内に入って正面が本堂、その左手に天樹院殿御廟(千姫の墓)がある。実はその墓のそばには、千姫より先に亡くなった侍女の墓石も立つ。侍女たちとあの世でも会いたいという気持ちが、強くあったのだろう。周囲を思いやるその人柄が偲ばれる。

千姫は亡くなるとき、寺に自分の遺品を渡すようにと言い残したという。千姫が住んだ竹橋御殿(たけばしごてん)も、寺の書院として移築され、持仏や家康の木像、日々拝んでいた家康らの位牌、袈裟などが納められている。

「豊臣秀頼との間に子どもはいませんでしたが、天樹院様は血のつながらない女子の助命をして、鎌倉の東慶寺(とうけいじ)に預けたり、家光の三男でのちの甲府藩主・綱重の養母となったり、人に尽くすことを忘れていません。あれほど波乱の生涯を送ったにもかかわらず、底なしの慈悲がある方だったのです」

金田さんの言葉に、千姫の菩薩のような姿が目に浮かんだ。きっと空の上で、千姫は親しい人に再会し、笑顔で過ごしているにちがいない。今度はぜひ、桜と彼岸花の季節に、寺を訪れたい。

阿弥陀如来像
写真:千姫の持仏と伝わる阿弥陀如来像

 

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