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なぜ源氏物語は名作なのか? 作家・帚木蓬生が語る“ 紫式部のずば抜けた文才”

2024年01月04日 公開

帚木蓬生(小説家)

紫式部

精神科医の傍ら、小説家として医療、ミステリ、歴史時代ものと、さまざまなジャンルの作品を発表されてきた帚木蓬生さん。その作家人生における"集大成"ともいえる大河小説『香子(かおるこ)―紫式部物語』(全5巻)を書き上げた帚木さんに、作家・紫式部と、千年もの間、読み継がれてきた『源氏物語』の、すごさと魅力を担当編集者が聞いた。
(取材・文・撮影=編集部)

【帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)】
1947年、福岡県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、TBSに勤務。その後、九州大学医学部を卒業して精神科医に。93年に『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞を、95年に『閉鎖病棟』で山本周五郎賞を、97年に『逃亡』で柴田錬三郎賞を、2010年に『水神』で新田次郎文学賞を、18年に『守教』で吉川英治文学賞と中山義秀文学賞を受賞。最新作として、紫式部の生涯と『源氏物語』をテーマとした『香子―紫式部物語』(全5巻)が刊行中。

 

ペンネーム「帚木蓬生」の由来とは

──ペンネームである「帚木蓬生」は、『源氏物語』の帖(じょう)の名前からの由来とお聞きしました。なぜ帚木さんが、『源氏物語』にこだわられたのか、教えていただけないでしょうか。

【帚木】「こだわり」と言われると、ちょっと言いにくいのですが(笑)。

大学を出てテレビ業界に就職し、一念発起して医療の道へ進もうと考えて、大学で医療を勉強するために今一度、予備校のようなところに通ったんです。そのとき本名だと、「なんだ、またお前か」などと思われそうで、違う名前にしようと......。

話はさらに遡るのですが、私の高校では、全学年と予備校生がいっしょに受ける実力テストをしていまして、高2の時に国語で1位になったんです。2年生なのに、全校1位ですよ。

なぜかといえば、そのときに読んでいた『源氏物語』のおかげで、「これ、まさに読んでいたところだよ!」と。

それ以来、『源氏物語』は、私にとって大切な作品になっていきました。本名とは別の名前を作ろうとしたときにも、『源氏物語』が頭にあって、帖名から名前になりそうなものを探し、まずは「帚木」と、そして「蓬生(よもぎう)」、これは「ほうせい」と読めば、名前になるじゃないかとなったわけです。

──ということは、ペンネームとして考えられたわけではなく、もともとは偽名だったんですね!?

【帚木】じつはそうなんです(笑)。でも、作家にふさわしい名前なんですよ。

「帚木」は、遠くからは箒(ほうき)を立てたように見えるが、近寄ると見えなくなる伝説の木。私も遠くからは見えるが、近づくと見えない人間になろうと思いました。そして「蓬生」は、蓬が生い茂っているような荒れ果てた場所を意味しますが、杜甫(とほ)の漢詩に出てくるフレーズです。

──それをそのまま、作家になる際に、ペンネームにしたと。

【帚木】最初の作品である『白い夏の墓標』は、私が付けたタイトルを編集者に否定され、「このタイトルにしましょう」と提案されて、私も頷いたものなんです。

さらに、ペンネームの「帚木蓬生」についても、編集者から「読めない」とダメ出しをされました。でも、思い入れがあるだけに、そっちは頑として変えなかった……。

──そのおかげで約10年前、「紫式部か『源氏物語』で書きませんか」とのご執筆のお願いを出来たのですから、そのときの帚木さんに御礼を言わないといけないですね(笑)。

 

『源氏物語』を挫折した人にこそ読んでほしい

──そもそも、紫式部か『源氏物語』については、いつか書こうと思われていたのでしょうか。

【帚木】いや、そんなことは思ってもいなかったんです。まさに10年前、そのときは「ミステリ仕立てでどうか」とのお話だったわけですが、それを機に構想を練り始めました。書き始めたのは3年くらい前でしょうか。

──そうして書き上がったのが、四百字詰め原稿用紙四千枚前後の大作です。しかも手書きでいらっしゃる。すごいです。ちなみに、『源氏物語』自体は、原稿用紙で二千数百枚だそうですので、それを大きく上回る、まさしく大河小説と呼ぶにふさわしい作品になりました。

【帚木】作品の構造上、そうなってしまった面もあって......。紫式部にしても、『源氏物語』にしても、そのすごさを描こうと思うと、ミステリでは難しい。

そこで、紫式部の生涯を本編として、それに『源氏物語』のパートが挿入されていくかたちを思いついて、今回の作品が出来上がりました。

紫式部の生涯だけでなく、『源氏物語』のすべてを存分に味わってもらうには、このかたちしかありえないのではないかと思います。

──たしかに、このかたちだと、『源氏物語』の現代語訳を読もうとして挫折した人も、読み進めることができるはずです。しかも本編で、『源氏物語』について、紫式部がなぜこうした展開にしたのか、何を描きたかったのかもよくわかるので、とても理解しやすくなっています。

【帚木】そうなんです。これまで『源氏物語』に挫折した人たちも、是非もう一度、この作品で挑戦してほしい。同じ作家だからこそ、なぜ紫式部がこう書いたのか、わかってくる部分があるので、紫式部パートに入れ込みました。それが、『源氏物語』の解説にもなっているわけですね。

 

作家から見た『源氏物語』の素晴らしさ

──では、同じ作家の目から見て、『源氏物語』はどこが素晴らしいと思われますか。

【帚木】やはり、女性の描き方ですね。桐壺(きりつぼ)の更衣 、藤壺、紫の上、夕顔、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)、葵(あおい)の上、明石(あかし)の上、玉鬘(たまかずら)、浮舟などなど、二十名以上の女君を、見事に描き分けています。光源氏との関係性をうまく使って、それぞれのキャラクターを際立たせているのです。

──たしかに、これだけの数の女性が登場したら、読む側としては普通、「この女性は誰だったか?」と混乱してしまいます。でも、『源氏物語』の女性たちは、とてもキャラが立っていますね。『源氏物語』というと、光源氏が主人公だと思ってしまいますが、実は女性が重要だと......。

【帚木】そうです。これだけ多くの女性たちを描き分けた作品は、『源氏物語』が書かれた当時、日本に伝わっていた漢文学にも、同時代の人たちが書いた日記や随筆にもありませんし、今に至るまで、ないといえるのではないでしょうか。

しかも、その女性たちの心のうちを、見事に描き出している。女性たちがしゃべっていることは、ほとんどが嘘です。本音を口にしない。本当の心が現われているのは、和歌なんです。

こうした二重構造にすることで、人物としての厚みが出てきて、その女性のことを深く理解したように、読む側は思えてくる。

──紫式部は、ストーリーだけでなく、「心」を描こうとしたんですね。

【帚木】『源氏物語』には、「心」という語を付けた表現が、数多く出てくる。「心憂(こころう)く」「心細く」「心化粧」「心乱れ」「心幼し」など、300以上でしょうか。そうした表現が使われるのは、男性ではなく、多くが女性なんですね。それだけ紫式部は、女性の「心」を描き出すことにこだわっていたんだと思います。

 

「もののあはれ」を支えていた紫式部の心

──平安時代、女性による文学が多く生み出されましたが、紫式部だけが、なぜ「女性の心」を描こうとしたのでしょう。帚木さんは、作家・紫式部をどのような人物だと思われているのでしょうか。

【帚木】藤原道長の娘で、一条天皇の皇后(中宮)となった彰子に、紫式部は女房として仕えていました。周りの女房たちは、大納言やら少納言やらの娘などがほとんどです。

対して紫式部は、地方の国司である受領(ずりょう)の娘で、周囲の女房たちとは身分が明らかに違う。そのため、決して前に出るようなことはせず、生きづらさを感じながらも控え目でいようとしている......。

でも、誇り高い女性だったんだと思います。周りの女性たちからしたら、付き合いにくい人だったのではないでしょうか(笑)。父親の藤原為時は役を外れていることが多く、弟たちも大した役に就いていない。家計は苦しく、不安をいつも感じていたでしょう。

その一方で、自分が家を支えなければ、との義務感も持ち続けていたはずです。
それこそ、「心憂し」「心細し」という想いを、ずっと抱いだき続けていた女性なんです。

──そんな紫式部が、なぜ『源氏物語』を書き始めたのでしょう。

【帚木】紫式部の実像は、わからないことだらけです。

でも、彼女が生み出した『源氏物語』や日記からは、「心憂し」「心細し」と感じ続けていた一人の女性像が浮かび上がってきます。逆に言うと、そうした想いを書きたかったんでしょう。書くことで、昇華できることもある。

江戸時代、作者の紫式部については研究が進んでいませんでしたが、『源氏物語』に、日本固有の「もののあはれ」があると、本居宣長は唱えました。

その「もののあはれ」を底辺で支えているのが、紫式部がずっと抱き続けていた「心憂し」と「心細し」であったと、私には思えてならないのです。

 

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