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巨大城郭に大天守…結城秀康ゆかりの地・福井市にみる「高度な防衛構想」

2023年06月14日 公開
2023年10月04日 更新

歴史街道編集部

 

ゆかりの神社と越前名物

佐佳枝廼社
佐佳枝廼社

庭園をあとにして、中央公園方面へと戻る。行く先は、公園の南西に鎮座する佐佳枝廼社だ。この神社は、秀康と徳川家康、そして松平春嶽を主祭神として祀っており、福井と越前松平家を語るうえで欠かせない場所だ。

宮司の福山泰江さんによると、この神社は明治6年(1873)、松平春嶽が藩祖である秀康を称えて佐佳枝廼社と命名し、翌年、社殿が創建されたという。そこには、福井が栄えるようにとの願いが込められているそうだ。

また神社の歩みは、現代福井のそれと重なる。昭和20年(1945)、福井市は大規模な空襲を受け、一面焼け野原となった。さらに戦後、昭和23年(1948)には福井地震が起き、再び被災する。佐佳枝廼社も空襲と地震により、社殿を焼失したという。

それでも、地元の人々の助力もあって、福井の町とともに復興への道を歩み、現代に至っている。そうした災禍を乗り越えてきた歴史から、福井市は「不死鳥の街」と称されているそうだ。

毛谷黒龍神社
毛谷黒龍神社(写真提供:福井市)

次に向かうのは、秀康が崇敬し、越前松平家の祈願所とした毛谷黒龍神社だ。佐佳枝廼社からは歩いて15分ほどで、電車でも行ける。

足羽山の麓に鎮座する毛谷黒龍神社にたどりつくと、老若男女問わず参拝客が絶えない。聞くところによると、福井のパワースポットとして大変な人気だそうだ。

宮司の山本隆重さんにうかがうと、秀康はこの神社に社地を寄進し、社殿も造営。さらに境内社の西宮恵比須神社は、秀康が越前入国の際に、下野国結城から、福井城下へ勧請したのが始まりだという。

秀康から篤く崇敬されたと聞くと、ますます霊験あらたかに思えてくる。拝殿で手を合わせると、何だかいいことが起こりそうな気持ちになれた。

笏谷そば本店
笏谷そば本店

最後は旅ということで、越前名物を食することにする。越前といえば、やっぱり越前そば。大根おろしとともに食べるのが特徴だが、そのきっかけも、秀康の越前入りにあるという。

というのも秀康の入国時、家臣の本多富正がそば師を従えて府中城に入り、それ以来、大根おろしとともにそばを食べるのが越前で広まったとされているからだ。

今回の旅では、毛谷黒龍神社から歩いて15分ほどの、笏谷そば本店の暖簾をくぐることに。

えび天おろしそばを注文すると、そばとともに、大根おろしがたっぷりと入ったお碗が付いてきた。店主の梅田武志さんに教えてもらい、そばのうえに大根おろしをかけて食べる。

すると、大根おろしの辛味とそばの香りが絡み合い、独特のうま味が醸し出されてくる。天ぷらともよく合い、何とも贅沢だ。

そこで、ふと思った。仮に秀康が別の国に入国していたら、このそばは別の土地の名物になっていたのかも...。とすると、秀康は食文化の面でも、越前に足跡を残したと言えるのではないか。越前そばに舌鼓をうちつつ、そんなことを思いながら、福井への旅を終えたのだった。

えび天おろしそば
えび天おろしそば

 

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