戊辰戦争150年、悲劇の先にあるもの~福島・旧幕府軍の戦跡を訪ねて
戊辰戦争150年、悲劇の先にあるもの~福島・旧幕府軍の戦跡を訪ねて
猪苗代湖(写真提供:福島県) 新政府から朝敵とされ、戦うことを余儀なくされた奥羽越列藩同盟。彼らは何を思い、新政府軍と戦い続けたのか――。新政府軍の進軍経路を旅することになった女子高生2人は、そこで何を知...
歴史街道 » #新島八重の記事一覧
猪苗代湖(写真提供:福島県) 新政府から朝敵とされ、戦うことを余儀なくされた奥羽越列藩同盟。彼らは何を思い、新政府軍と戦い続けたのか――。新政府軍の進軍経路を旅することになった女子高生2人は、そこで何を知...
同志社の創設者・新島襄が没 今日は何の日 明治23年1月23日 明治23年(1890)1月23日、新島襄が没しました。同志社英学校(後の同志社大学)を創立した明治を代表する教育家で、新島八重の夫としても...
会津藩士・山本覚馬が生まれる 今日は何の日 文政11年1月11日 文政11年1月11日(1828年2月25日)、山本覚馬が生まれました。幕末の会津藩士で、新島(山本)八重の実兄です。今回は彼の卓見を示す『管...
『歴史街道』2013年4月号 より 山本覚馬の墓(京都市) 「今、日本にとって急務なのは、内戦ではない」。 戊辰戦争の最中、薩摩藩に幽閉されながらも、日本の近代化を進めるための方策を、新政府...
明治以降の八重たちの歩み 鳥羽伏見の戦いで、兄・覚馬は行方不明(処刑されたと伝えられた)、弟・三郎は戦死 ―― その悲報で幕を開けた「八重の戊辰戦争」だったが、会津戦争によって、さらなる悲劇に見舞われることになる...
『歴史街道』2013年2月号 より 「戦う女」八重の獅子奮迅の働き 新島八重−旧姓・山本八重は、幕末の弘化2年(1845)に会津藩の砲術(銃術)師範の家に生まれ、会津戦争では当時最新鋭の7連発式スペンサー...
更新:11月24日 00:05