――新聞社が投票と審査で決める「新日本八景」に選ばれるため熊八たちが組織票を出したり、インバウンドを見込んだりと、熊八の戦略は現代の観光産業と同じですね。
【植松】そうなんです。私が読んだ史料には、熊八が購入した葉書を配って別府の人たちに書いてもらい、「新日本八景」の投票では一位になったと書いてありました。
ただ、この時期の観光を研究した新しい論文を読むと、投票では別府が十位で、花巻が二位に大差をつけた一位だったとあったので、本書ではそちらを採用しました。他の観光地と競うと、「負けてたまるか」と盛り上がって結束が強くなるじゃないですか。熊八が安くない葉書の購入代を負担してまで投票に夢中になったのは、意味があったはずです。
――熊八は別府に観光客を呼ぶアイディアを次々と出しますが、桟橋の建設は船会社に頼み、道路の建設は県に頼んでいます。この時代であれば、自分が政治家になって利益誘導することも、有力な政治家と結び付く政商になることもできましたが、熊八は政治とは距離を置いていたように思えました。
【植松】熊八は若い頃、故郷の愛媛県宇和島で町会議員をしていましたが、うまくいきませんでした。その影響もあると思いますが、もともと熊八は裏から手を回したり、根回しをしたりするよりも、自分では実現できない事業を代わりに成功させられる人物を捜す行動力や、その人の心を動かすアピール力が優れた人だったような気がしています。
熊八が最初から町を発展させるために別府に行ったのかは分かりませんが、町のために働いていたら感謝されて、政治家に戻るより観光の仕事が面白くなったのかもしれないですね。
――世界恐慌が起こり、客足が途絶えた別府で熊八は窮地に立たされます。観光業が恐慌、戦争などで大打撃を受けるところは、現在の新型コロナ禍に重なります。
【植松】社会が平和で、国民が健康でないと観光業が成り立ちません。それは、今回のコロナ禍でもよく分かります。昨年のGoToキャンペーンの時、別府で熊八を偲ぶ碑前祭が開催され私も参加したのですが、飛行機は満席、チェックインの時間はホテルのフロントに長蛇の列ができていました。
ただ旅行ブームを無理矢理盛り上げても、再び新型コロナが流行するとまたダメになります。だからゼロからスタートして、独自のアイディアを出し、地元の人たちと協力して別府温泉を日本を代表する観光地に変えた熊八の存在を知ってもらえると、いま困っている観光業の人たちを勇気付けられるのではないか、と思いながら書いていました。
――熊八は全財産を失ったところから観光業に参入していますから、失敗して再起したい人、新たなチャレンジをしたい人も勇気がもらえるように思えました。
【植松】そうなんです。熊八が別府で観光業を始めたのは、当時は晩年といわれた50歳頃です。それまでに株で全財産を失ったりと、散々な失敗をしています。私も48歳で小説家デビューしましたが、最近はまだ若い30代の人たちが「もう年なので何もできない」と言っているのを聞きます。
ただ、何かを始めるのに、年齢は関係ありません。そのことを、この作品を読んで感じてもらえると嬉しいです。
更新:11月22日 00:05